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ニットキャップシアター第41回公演『チェーホフも鳥の名前』 ごまのはえインタビュー

 

 

AI・HALL自主企画として2022年1月14日(金)~17日(月)に、ニットキャップシアター第41回公演『チェーホフも鳥の名前』を上演します。アイホールでは2019年8月の初演以来、2度目の上演となります。
ニットキャップシアター代表であり、作・演出のごまのはえさんに、作品の概要や再演への意気込みなどいろいろとお話いただきました。

 

創作のきっかけ

作品を作ろうと思ったきっかけは、チェーホフの書いた『サハリン島』というルポルタージュを知ったことです。それまでサハリンについて全然知りませんでしたが、日本のすぐそばまでチェーホフが来ていたということが面白く、ルポを読んでいくうちに、島に住んでいた北方少数民族と言われる人たちの生活に惹かれ始めました。さらにはロシアと日本の間で、国籍や自身の民族的アイデンティティと直面せざるを得ない人たちに深く同情しました。
このように入り組んだ歴史の中で翻弄される人間にとても惹かれ、創作に結びつきました。
色々と資料を集めて、それを自分なりに構成し、1890年ぐらいから1980年ぐらいまでのサハリンの歴史を3時間の作品にまとめ上げました。
また作品全体の下敷きとして、『サハリン島』以外にもチェーホフの代表作である『三人姉妹』も編み入れました。

 

 

サハリンの歴史と作品の概要について

初演時の舞台写真 撮影:井上大志

近代以前は、どこの国がこの島を管理しているかは特に決まっておらず、アイヌやニヴフ、ウィルタなどの北方少数民族の方が住んでいました。1867年に江戸幕府と帝政ロシア政府の間で、樺太は従来通り両国の共同管理地とすることが正式に決められました。
明治維新後から数年後の1875年の樺太・千島交換条約で樺太をロシアに、千島列島を日本がもらうということになりました。これ以降、ロシアは囚人たちをどんどん樺太に送り込んで、炭鉱や製紙などの産業を起こし、開発を進めていたそうです。その囚人たちの扱いを取材するために、1890年にチェーホフがやって来ました。『チェーホフも鳥の名前』では、この1890年を第一幕にしています。

 

サハリンの歴史と作品の概要について

初演時の舞台写真 撮影:井上大志

第二幕は、樺太の南半分が日本領になった後の1923年を舞台にしました。この年の夏に宮沢賢治が農学校の生徒の就職先を探しに樺太へ来ました。前年に妹を亡くしており、傷心の癒えぬままの旅だったと思われます。この旅をモチーフに賢治は、『オホーツク挽歌』『樺太鉄道』などの作品を残しています。
私たちのお芝居の舞台は日本時代に野田町と言われた町です。賢治が野田町に来たかどうかは不明ですが、作品の中では野田町を訪れます。この時代に日本人がどんどん移住してきて、炭鉱、製紙、油田、漁業などの産業に従事したそうです。最盛期には40万人近くの日本人が住みました。また、法律的には日本の内地とされ、日本と同じ法律が適用されたそうです。

 

サハリンの歴史と作品の概要について

初演時の舞台写真 撮影:井上大志

日ソ中立条約もあり、樺太では第二次世界大戦中はずっと戦闘がなく、比較的平穏に暮らしてたそうです。ですが、1945年8月9日にソ連軍が条約を破って樺太に南下してきました。そして、15日の終戦後も樺太では戦争が続きます。樺太は沖縄と並び、日本国内で地上戦が行われた場所でした。
なぜ8月15日以降も戦闘が続いたのかはずっと謎だったんですが、本作初演(2019年8月)の数ヶ月後に、NHKで『樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇』という番組を元にした本が出版されました。この中で「全然戦う気がなく前線に近づいて来たソ連兵たちを自分たちの方から先制攻撃した」という日本人の元兵士の新証言がありました。なんでそんなことをしたのかという問いには、「樺太の北方を守備していた部隊は、終戦のことを上の者から知らされなかった」と答えています。つまり、戦争が終わったことを前線の部隊は知らされていなかったのです。
第三幕は、樺太の地上戦も止んだ、1945年の12月を舞台にしています。その頃、ソ連が臨時の行政局みたいなものを設立して、樺太(サハリン)を統治していました。ソ連行政局は、労働力の確保を重視します。鉄道や炭鉱などの技術を持っていた熟練工たちは、しっかり管理されていました。一方で、早く日本に帰りたい人たちが、どんどん北海道に向けて密航を企てていた、そんな時代だったそうです。
さらに第四幕は1980年代を舞台にし、一幕・二幕で登場したさまざまな家族や、その子孫、孫たちが憎しみあったり、再会したり、離れ離れになったりしていきます。当時、サハリン州はソ連の一州になっていて、いろんな事情で日本に帰った人、帰らなかった人、帰りたくても帰れなかった人たちがいました。登場する家族も様々な民族で構成されていて、ロシア人と日本人のカップルや、ロシア人とニヴフのカップル、日本統治時代に樺太にやってきた朝鮮人の家族などがいます。

 

作品から繋がってきたもの

先ほど話に出たNHKのドキュメンタリー本や、ロシアの作家ヴェルキンの『サハリン島』というSF小説は普通に本屋さんに並んでおります。普段の生活では全然目に入ってこない「サハリン」という単語なんですが、ちょっと気にしてみるといろんなことが繋がっていて、この島について調べてる人はとても多いんだなあと感じてます。
創作において大変だったのは、ニヴフの人の名前が日本統治下で何という苗字を名乗ったかというのが、一番苦労しましたね。もちろん宮沢賢治が出てくるので花巻の言葉ですとか、韓国の人の名前とかそういうものも苦労したんですけど、ニヴフに関してはどこでどう調べていいのか、全然わからない感じでした。
初演の2019年のときは、樺太に住んでおられたという方々が、アイホールにも何名か観劇に来て下さいました。樺太から引揚げてこられた方の組織みたいなものもあったんですけれども、それも2021年3月末で解散しています。ただ40万人も住んでたというだけあって、私たちの中にも、少し系譜をたどれば、「うちのおじいちゃんも樺太からの引揚者だ」とか、そういう人は結構いるんじゃないかなと思います。

 

再演で伝えたいこと

初演時の舞台写真 撮影:井上大志

タイトルを『チェーホフも鳥の名前』としたのは、サハリン島にたくさんの人が来て、たくさんの人が去っていく。そういう様子が渡り鳥のようで、そういう姿をイメージしてつけました。チェーホフ「も」としたのは、チェーホフも、樺太にやってきた鳥の一つだという思いで、このようなタイトルにしております。
この作品は、厳しい自然環境にあるサハリン島にやってきた人たちが、隣人同士として助け合いをしてゆく姿を一番の柱にしています。国家の時々の都合や、戦火に翻弄されながらも、互いを心配し合う気持ちを忘れない人たちの姿を、再演では特に丁寧に描きます。
樺太の歴史には、とても複雑な背景があります。「チェーホフも鳥の名前」は上演時間が3時間なのですが、この島の100年の紆余曲折と、それに振り回される人たちの様子を、よくも3時間に収めたものだと感じています。
これは劇団員にも言ったんですけど、書き上げたときの手ごたえとして、何か頭の上で鐘が鳴ったんですよ。カランコロンカランて! それをよく覚えています。岸田戯曲賞を取れなかったっていうことは、鐘が一つ足りなかったんだよという感じですかね(笑)

 

■質疑応答

Q:再演の経緯について。

A:初演の時から東京で上演したいという気持ちは、強くあったんですよね。やっぱり東京というのはいろんな都道府県から一番観に行きやすいので。ありがたいことに、アイホールさんからまたお声がけいただいて、伊丹と東京での再演が決定しました。光栄です。

2021年11月 大阪市内にて


ニットキャップシアター
第41回公演 
『チェーホフも鳥の名前』
作・演出/ごまのはえ
 
2022年1月
14日(金)18:30
15日(土)13:00/18:00
16日(日)14:00
17日(月)14:00
 
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