アイホール・アーカイブス
2019年度次世代応援企画break a leg 植松厚太郎(立ツ鳥会議)×竹田モモコ(ばぶれるりぐる)インタビュー
アイホールでは今年度も、共催事業として「次世代応援企画break a leg」を開催いたします。アイホールディレクターの岩崎正裕と、参加いただく「立ツ鳥会議」の植松厚太郎さん、「ばぶれるりぐる」の竹田モモコさんにお話いただきました。
■企画趣旨について
岩崎:「次世代応援企画break a leg」は平成24年度から継続している事業です。アイホールのひとつの柱として、若手支援に注力するという主旨のもと、参加団体を全国公募し、毎年、新しい団体に登場いただいています。今年度もbaghdad caféの泉寛介さんと選考しまして、「立ツ鳥会議」と「ばぶれるりぐる」に登場いただくことになりました。もっと経験の浅い劇団やユニットに登場いただくことも多いのですが、今回は、演劇界においても充分経験を積まれている二団体になりました。
「立ツ鳥会議」は、植松さんが第24回OMS戯曲賞の佳作を受賞された『午前3時59分』の戯曲を読み、構成の面白さと緻密さを評価しました。映像も拝見し演劇的成果も高いと判断しました。今回は新作で登場されます。「ばぶれるりぐる」も戯曲を読み非常に感心しました。シチュエーションと面白い台詞運びで書かれているのですが、現代演劇としてもちゃんと地に足がついている。笑いだけに特化するのではなく、ある地域のコミュニティがとても緻密に書かれているのが興味深かったです。
★立ツ鳥会議『夕夕方暮れる』
■立ツ鳥会議について
植松:立ツ鳥会議は、私、植松厚太郎と小林弘直の二人が共同主宰の演劇ユニットで2010年に結成しました。私が脚本・演出を、小林がプロデュースを担っています。私たちは、東京大学と東京女子大学の学生で構成されている学生劇団「綺畸」の出身で、大学の卒業公演を自分たちでやるためにこのユニットを立ち上げました。「立ツ鳥会議」の名前は、卒業公演らしい名前がいいということから、あえて、跡を濁してやろう、記憶に残してやろうという意味でつけました。卒業後は、私が大阪に移住したりそれぞれの生活もあったりで演劇を続けられない状況でしたが、やっぱりなんとかしてやりたいねとなり、5年後の2015年に再始動し、今年で丸4年を迎えます。現在のメンバーは5人で、30代前後の社会人が中心です。東京のメンバーが多いので、大阪在住の私が週末に東京に通い、稽古をするという非常に強引なかたちで活動しています。作風は現代を舞台にした会話劇です。丁寧に積み重ねた会話と豊かな物語を通じて、現代の実感の奥底にある感情を掬い上げる作品をつくることを目指しています。毎回、トリッキーな演劇的仕掛けを入れているのも特徴です。出演者は公演ごとに、プロの俳優や社会人、学生といったバラエティに富んだ面々をお呼びし、そのなかでいかにクオリティの高い作品をつくるかを模索しています。今回は東京・兵庫の二都市公演で、東京公演は「CoRich舞台芸術まつり!」の最終審査対象に残っており、兵庫公演はアイホールのbreak a leg参加と、立ツ鳥会議としてはいつになくチャレンジングな公演になっています。
■『夕夕方暮れる』について
植松:新作『夕夕方暮れる(ゆうゆうがたくれる)』は、現代の若者10人で織りなす群像劇です。友人関係や夫婦関係、たまたま出会った二人といったミニマムな組み合わせからスタートして、最終的にはそれぞれが複雑に絡み合ったり絡み合わなかったりしながら、「現代における人と人との関係性」に焦点を当てていく作品です。今回は、東京の都心から若干離れた郊外にある小さな公園を舞台に、夏のある1週間、月~金曜日の平日5日間の夕方が舞台上で同時に進行するという構造にチャレンジします。時間が止まらないスリリングさに加えて、5つの時間を同時に進行させることで、出来事が、あるときは時間が戻る形で展開したり、あるときは不思議な重なり方をしたりします。こうした構造に物語を落とし込むことで、現代における群像をユーモラスかつシニカルに描き出したいと思っています。今回、「演劇でしか成立させられない“物語”とは何か」に着眼し創作をスタートしました。近年では、複数の場面やシーンが同時に進行する手法は、珍しいものではありません。でも、ここまで重ねるパターンはあまり無いと思っています。
少し話がそれますが、今の時代、なぜあえて「演劇」という表現方法をとるのかは、演劇にたずさわる人は誰しも考えていると思います。演劇には生モノの力があると思いますが、他には何があるだろうかと常に考えており、今回は「演劇ならではの物語」を目指そうと思い立ちました。物語のあらすじと演劇的手法が不可分なかたちで強固に結びついた、演劇以外では表現できない物語という意味です。今はメディアミックスの時代ですが、「誰が何をしてどうなった」という「物語」や「ストーリー」の部分は、相性の良し悪しこそあれ、基本的には別のメディアへの置き換えが可能です。近年、演劇の独自性を目指すときに、「物語」を捨てるとか、「ストーリー」を見限る選択をするパターンが多いのはそのためかもしれません。でも、私はまだ物語やフィクションを信じています。だからこそ、「物語」や「ストーリー」という枠組みのなかで、演劇ならではの価値を見いだしたいと思っています。
今回の最終的な目標は、同時進行という構造を使わなければ表現できない物語を組み上げて、演劇以外では見ることができない人間模様を立ち上げることです。ただ、わかりづらい作品にするつもりはありません。筋が追えないほど会話を重ねたりはしないです。単純に、見立ての新鮮さを楽しんでいただきたいですし、立ツ鳥会議は今までもエンターテインメント性を大切にしてきましたので、演劇を見慣れた人から初めて観る人まで、そのどちらにも通用する作品を目指しています。今を生きる人間を描こうとした結果、シーンによっては割と馬鹿馬鹿しかったりするので、いろんな人に気軽に足を運んでいただければと思います。また、今回は、立ツ鳥会議としては過去最大の10人という出演者です。キャリアを積まれた俳優さんにも参加いただいていますので、クオリティの高いものをお見せできると思っています。
岩崎:作劇においては、きわどい場面構成だけど、安心して読める、観られるという感覚があります。ドラマを捨てていないという植松さんのお言葉に、なるほどと思いました。
★ばぶれるりぐる『ほたえる人ら』
■ばぶれるりぐると幡多(はた)弁
竹田:私の出身は、高知県土佐清水市です。幡多(はた)郡という、高知県の最西端、九州寄りの地域です。18才のときに大阪に出てきて、2007年に「売込隊ビーム」に入団しました。10年ほど東京弁や関西弁でお芝居をしてきたのですが、訛りがひどく、ぬけなくて、非常に苦労しました。去年、自分の観たい芝居を自分で創り出したいと思い、戯曲を書くことにしました。そのときに、自分が得意な言語でお芝居を書きたいと思い、生まれ育った地域の方言である<幡多弁(はたべん)>を使おうと思いました。劇団名の「ばぶれるりぐる」は私の造語です。「ばぶれる」は「だだをこねて暴れる」、「りぐる」は「こだわる」という幡多弁で、「だだをこねて暴れながらこだわってつくっていく」という意味の劇団名にしました。幡多弁は高知の方言ですが、坂本龍馬が使う「~じゃきに」みたいないわゆる土佐弁とは少し違います。幡多弁、土佐弁ともに特徴的なのは標準語には無い「完了形」という状態を表現できることです。例えば、母親が子どもに「宿題終わった?」と聞いて子どもが「終わった。」と答える場合、この「終わった。」は過去形です。でも幡多弁だと「宿題終わっちょうが?」と聞いて「終わっちょうで。」と返す。これは終わったことが続いている現在完了形を表現しています。現在の日本語には完了形はないといわれていますが、幡多弁や土佐弁にはあるんです。こんなに時制を駆使する方言はなかなか無いのですが、あまりメジャーになっていないこともあり、この言語で芝居を組み立てたいと思いました。また、私がなぜホンを書こうと思ったかといいますと、私自身、モラトリアム期が長く、歳を重ねていっているのに何者にもなれていない焦燥感や、自分はどうなったら幸せなんだろうということが明確でないままお芝居を続けてきました。そんな自分自身のことを、なんとか台本に起こして、観てもらうかたちにパッケージしたいと思ったからです。だから戯曲に出てくる登場人物は自分の心の中を代弁している気がして、心の中を他人に覗かれているようで初演はとても恥ずかしかったです。
岩崎:これは書かれて何本目でしょう。
竹田:一本目です。それまでに、コントで15分ものの短編は書いたことがあるのですが、長編を書いたのはこれが初めてです。
岩崎:ものすごくよく書けていると思ったんです。そんな一本目でサラっと書けるものなのかと思って。竹田さんが所属されていた売込隊ビームの座付作家で、今はiakuで活躍されている劇作家の横山拓也さんの薫陶を受けたんですね。
竹田:影響はあると思います。
岩崎:演出はチャーハン・ラモーンさんですが、これは竹田さんの大抜擢ですか?
竹田:はい。私が、まずチャーハンさんに演出をお願いし、それから俳優たちを集めました。チャーハンさんのお母さまのご実家が同じ幡多郡なんです。幡多郡の空気感、夏のあつーい感じや夕方の感じ、磯臭い感じとかが肌でわかる人なので、その空気感が伝わりやすいと思いお願いしました。実は出演いただく泥谷将さんのルーツも幡多郡、下村和寿さんのご実家も幡多郡なので、関西で奇跡的にも演劇をしている幡多郡のメンバーを集めたかたちになりました(笑)。
岩崎:土地が持っている何かがあるのかな。文字を読んでいても、匂い立つような空気感が漂ってくるのは、幡多弁のせいなのだなと思いました。
■『ほたえる人ら』について
竹田:この作品を旗揚げで上演し、今回は再演になります。「ほたえる」は関西でもいう「わちゃわちゃ騒ぐ」「あばれる」みたいなことで、コメディの群像会話劇になります。「区長場」という、市役所の出張所のもっと小さい、デスクを置いているだけのような場所が舞台です。そこに勤めている区長さんは、地域おこし協力隊から派遣された、よそから来た人で、なんとかその土地に馴染もう、かつ移住者も増やそうと頑張ります。けれど、村の人たちが区長さんのやることをうまくいかないように足を引っ張ったりします。なぜ区長さんがこの場所を選んだのか、なぜ村人がここに留まって住んでいるのかという、それぞれの事情や心の葛藤を、わちゃわちゃしているなかで掘り出していくという話です。
岩崎:ソーラーパネルがキーになっていますよね。
竹田:区長さんはソーラーパネルが増えるのを阻止しようとしているのですが、それを進めようとしている村人もいる。それぞれの事情や私欲もあって、歯車が回っていかない。
岩崎:区長さんが反対なんですね。
竹田:はい。ソーラーパネルは人が出て行った空き家を潰し、更地にしたところに立てます。だから、区長さんはソーラーパネルが反対というより村から人が流出していくのを止めたい、そして移住者を増やしたいという思いが強いんです。でも、そこにソーラーパネルの会社が数を増やそうとして…。その軋轢も描いています。
■質疑応答
Q、『夕夕方暮れる』のタイトルと登場人物たちの関係性についてお聞かせください。
植松:「夕夕方」は私の造語で、いくつかの夕方が同時に暮れていくという意味のタイトルです。「夕夕」は縦書きにすると「多」という漢字にも見えますが、月・火・水・木・金の5つの曜日の夕方をワンシチュエーションで描くことを意識しています。5つの時間は同時に始まり、各登場人物の物語が混ざった状態で止まらずに進行します。それぞれの物語が時間軸ごとに独立して進むわけではないの、例えば、ある曜日に出てきた人物が別の曜日に出てくることもありますし、登場人物同士でも知り合いもいれば他人もいる、絡む人もいれば絡まない人もいます。公園を毎日通る人や、昨日と今日とは別の理由で公園にいる人も登場します。当然、曜日ごとに人が舞台上にいない時間帯もあります。様々な人間関係があるなかで、話が進むうちに最初の関係性と違ったものに変容していく様子を描きたいと思います。
岩崎:大きな社会的な事件が根底にあるのでなく、登場人物たちの個々の事情で進むのですね。
植松:はい。個別のストーリーの集積で、人間関係はすごく小さいところでの繋がりです。ただ、20~30代の人物を描くので、今の若者の哀愁を全体的に漂わせられたらと思っています。あと、私はいつも、アイデアをどう破綻させないかから創作をスタートするのですが、今回は各曜日をどうお客様にわからせるのかが悩みどころです。作劇から考えると、登場人物たちの関係性が徐々にわかるようにして、その集積の結果として、曜日は、わかる人には最後にわかるというかたちになりそうです。
岩崎:時間は戻りますか? 月・火・水…と進むのではなく、金・火・木みたいに。
植松:月から金の時間が同時に進みますが、最初の出来事が金曜日で、次の出来事が木曜日だったら…結果的に時間は戻っていますね。
岩崎:なるほど、パズルですね。
Q、「現代の実感を掬い上げる」「若者の哀愁」について、もう少し具体的にお教えください。
植松:私が大学を卒業したのが2010年。就職の“超”氷河期でした。今、就職率は上がっていますが、別の苦しみが新たに生まれている。つまり日本社会は、急成長していた時期から停滞の時期に入り、これからいかにして落ちていかないか、もしくは落ちていくしかないのかという時代になっている気がします。若者がどんどん貧乏になっていく時代で、人生の時間がまだ倍以上あるなか、彼らがどういう考えを持って、周囲の人たちと生きていくのかを描きたいと思いました。別の日の同じ時間に起きている出来事を知らないというアイロニーとか、今日、悩み考えていたことが実は昨日のうちにどうしようもなくなっていたとか、そういう、時間が一直線に進んでいかないことによる苦しみを、今の時代と重ねたいと思っています。
岩崎:だから夕方なんですね。朝じゃうまくいかないんだね。
植松:はい。『午前3時59分』は一人多役の構造で描きました。結局はみんな、同質の人間にしか出会っていないのではないかという仮説を、演劇的な仕掛けで表現した作品です。今回の同時進行も、単なるアイデアだけで終わらせてはいけないと思っていて、必然性のある構造にしていきたいと思っています。
Q、『ほたえる人ら』のモデルになったエピソードはありますか。
竹田:地元の足摺岬の地域は、人の流出が本当に激しいんです。私の通っていた小学校や中学校も廃校になって、子育てが難しい感じで、そこにソーラーパネルの会社がやってきてソーラーパネルが増えていっているという状況が現実にあります。実家に帰省したとき、友人の家がソーラーパネルになっていて、驚いて二度見しました。村の景色のなかに、急に光り輝く銀色の板が出現するさまが、自分の知っている地元じゃ無くなっていく感じがすごくしました。でも、その家の事情もあったんだろうと考えると、「この景色は嫌だ」という簡単なことだけではすまないと思うので、そこを少し面白く描いてみようと思いました。
Q、幡多弁の過去形と完了形について書くときに意識されていますか。
竹田:私自身が幡多弁のユーザーなので、書くときもあまり意識せずにこうした細かい時制を使っています。発話だけだと何を言ったかわからないときがあるかもしれませんが、今回はお芝居なので、動きだったりで、この人は今、何か困ってそうだなとか、何となく過去のことに怒り続けているなとかが伝わって、お客さんの意識が繋がっていくのではと思っています。
2019年4月 大阪市内にて
2019年度次世代応援企画break a leg
立ツ鳥会議『夕夕方暮れる』2019年6月8日(土)・9日(日) 詳細
ばぶれるりぐる『ほたえる人ら』2019年6月14日(金)~16日(日) 詳細