アイホール・アーカイブス
平田オリザ(青年団)インタビュー
アイホールでは2月19日(金)~22日(月)に提携公演として、青年団第74回公演『冒険王』『新・冒険王』を上演いたします。作・演出の平田オリザさんに作品についてお話を伺いました。
■『冒険王』について
本作は唯一自分の経験をもとにして書いた戯曲です。1980年、バックパッカーたちが溜まるイスタンブールの安宿を舞台に、西にも東にも行けない中途半端な日本人たちの青春群像を描いています。
トルコの首都イスタンブールは、インドからヨーロッパへ、あるいはヨーロッパからインドへ行く人たちが必ず立ち寄る、結節点みたいなところなんです。ところが、1982年にソビエト軍のアフガニスタン侵攻とテヘランのアメリカ大使館占拠事件が起こり、白人がイランから東に入れなくなってしまった。この影響で、イスタンブールからイランの首都・テヘラン行きの直行バスが出なくなってしまいました。日本人がイスタンブールからテヘランに向かうには地元のバスを乗り継ぐしか方法がない。しかも、イランは日本人が入れたり入れなかったりする状態が続いており、非常に宙ぶらりんな状態で多くの日本人が足止めを食らっていたんです。そのため、イスタンブールはインド方面へ行こうとして足止めを食らう人たちとイランからやってきてヨーロッパに向う人たちとが溜まってしまう状況になりました。僕は自転車で世界一周をしていた時に、たまたまそこに居合わせ、10日間ほど滞在しました。エピソードの半分くらいは、その時の実体験に基づいています。
本作は僕のお芝居では珍しく、いろんな時事ネタが入っています。山口百恵が婚約したニュースなど、今上演するとかなり古い時代の内容ですが(笑)、実際に上演してみるとそれほど違和感はありません。
また、過去の公演写真を見ていただいてもわかりますとおり、舞台が二段ベッドでグルっと囲まれていて、僕の演出上の最大の特徴である同時多発の会話が立体的に、いちばんダイナミックに繰り広げられる作品でもあります。
■『新・冒険王』について
韓国には、PARKという劇団があり、パク・カンジョンさんという方が主宰をされていました。彼はテレビドラマで主役を務めるほど人気のある俳優で、大学で教えたり、舞台の演出もしていました。劇団PARKは『東京ノート』を翻案した『ソウルノート』という作品を上演し、それが大ヒットして5年くらいソウルでロングランを続けていました。その後、『ソウルノート』の日韓合同バージョンを創ったりしたんですけれども、10年程前に彼から「一緒に新作をつくりたい」という話がありました。その時に僕が『冒険王』の話をして、この作品を題材にしたらいいんじゃないかと提案しました。
海外に行くと、バックパッカーの安宿では、日本人と韓国人が同じ部屋にされることが多いんです。『冒険王』と全く同じセットの一室で、今度は2002年に時代を移し、アメリカ軍のアフガニスタン侵攻で足止めを食らった日韓のバックパッカーたちの話にしようというところまで話は決まっていました。パク・カンジョンさんは僕と同い年だったのですが、残念ながら彼は癌で急逝されてしまい、新作をつくる話は立ち消えになってしまいました。
共同脚本・共同演出のソン・ギウンさんは日本に留学された経験があり、僕の作品をたくさん翻訳してくださっている方です。そもそも遡ると、パク・カンジョンさんが教えている大学の卒業公演で『東京ノート』を上演することになり、その翻訳を彼に頼んだことがきっかけだったんです。今では、彼の翻訳で僕の韓国版戯曲集も出版されています。2013年には東京デスロックの多田淳之介くんと『가모메 カルメギ』という作品を創っていて、多田君はこの作品で日本人初となる東亜演劇賞という演出家賞を受賞しました。今年、二人が再び共作した『颱風奇譚(たいふうきたん)』をご覧になった方も多いと思います。3年ほど前にソン・ギウンさんとお話しした際に、頓挫してしまった『新・冒険王』をやろうという話になり、亡くなったパク・カンジョンさんの弔い合戦のような形で上演が決まりました。
■日韓ワールドカップを通して見えた“日本人”
ソン・ギウンさんと『新・冒険王』をどういう話にしようかと考えた時に、時代を2002年に設定するなら、その年に行われた日韓共催のワールドカップに触れないわけにはいかないだろう、ということになりました。
よく調べていくと、2002年6月18日、トルコ時間でいうところの午前中に日本がトルコに負けており、午後には韓国がイタリアに勝っています。韓国‐イタリア戦は延長戦になったのですが、当時のワールドカップは今と違ってゴールデンゴール方式(サドンデス方式)だったので死闘となりました。試合でイタリアが最初に先制したところから、最後に韓国が決勝のゴールを入れて勝つところまでちょうど2時間あり、本作はこの2時間をリアルタイムで描くお芝居になっています。宿にはロビーにしかテレビがない設定で、韓国人たちはそこで試合を見て盛り上がっており、ハーフタイムや延長戦の間にベッドのある部屋に戻ってくる、日本人は午前中のトルコ戦に負け、同じ部屋でずっとしょんぼりしているという構造になっています。その中で、やはり東にも西にも行けない日本人と韓国人の姿が描かれています。本作のキャッチフレーズには「日本はまだアジア唯一の先進国の座から滑り落ちたことに慣れていない。韓国はまだ先進国になったことに慣れていない」と書いています。
韓国がイタリアに勝った時点では、日本のマスコミはもちろん一般の人たちも「韓国礼賛」の風潮だったのですが、試合終了あたりから「インチキをしているんじゃないか」「あれは試合を買収したんじゃないか」という意見が出始め、次のスペインとの試合で勝ったあたりから「韓国陰謀説」みたいなものがワッとネット上に情報として流れました。客観的に見ると、非常に典型的であり、ものすごく情けない日本人というものが見えてくるわけです。現在に至る嫌韓イメージの源流は、この2002年のワールドカップにあったとも言われており、この作品には、そういった出来事の原点が描かれています。
■『新・冒険王』の創作過程と韓国公演での反応
今回の稽古場はとてもおもしろくて、僕が韓国人の俳優に演出する時は韓国語でしゃべり、通訳の方が日本人の俳優に伝えていました。ソン・ギウンさんも日本語ができるので、日本人の俳優には日本語で演出をつけ、通訳の人が並行して韓国の俳優に伝える形で進めました。演出は基本的には僕が全部行い、韓国の俳優が出演したり、韓国語が出る部分はソン・ギウンさんが後から仕上げていきました。台本はもっと複雑で、一旦、僕が書いたものをソン・ギウンさんが全部書き直して、それからお互いの国の台詞の部分についてもう一回それぞれが書き直しを行い、進めていきました。
『新・冒険王』の韓国公演は、予想していたとおり、日本以上に笑いが多かったですね。韓国には徴兵制があって、大学の学年暦に関係なく徴兵の指令が来るため、区切りの良い学期から戻るのに2~3ヵ月期間が空いてしまうことがあるそうです。そのため、徴兵の前後に3ヵ月から半年くらい長期旅行へ行く人が結構多いんです。
本作の登場人物には、そういう人たちが何人か出てきます。作中で出てくる徴兵制の話題も日本人から見ると到底笑えない話なんですが、韓国では何がおもしろいのかと思うほど爆笑でした。笑うしかないような“徴兵ネタ”が昔から本当にたくさんあるようで、日本ではあまりウケないけれども韓国ではウケる、といった部分は意図して書いていますね。
Q&A
Q.『冒険王』の1996年の初演から今回の再演に至る20年の間に、日本人を描く姿で変わったところはありますか。
初演から5年後の2001年に再演をしたんですが、その時点で既に意味合いが変わってきていました。自分でも意識してつくっているんですが、この作品はゴーリキの『どん底』にちょっと似ていると言われることがあります。僕は自転車で世界一周するという“冒険ごっこ”みたいなことをしていたんですけれども、そういう旅行ってずっと続けているとどんどん日常になっていっちゃって、本当にダラダラしてくるんですね。1996年の初演時は、そういうダメな人たちの話としてつくったつもりだったんです。ところが、2001年になってくるとそういう旅行者たちも「日本でちゃんと働いてお金貯めて旅行している。今の若者としては積極的じゃないか」という話になってしまって、相対的に作品の軸がズレてしまったところはあります。
80年代は就職するのが当たり前の時代でしたから、海外に出ること自体、結構大変だったし人生の半分を捨てるようなものでしたので、いうなればひとつの“冒険”だったんです。ところが、今の時代は就職しない選択もあるし、就職できない人も多いですよね。「就職」に対するイメージの変化が影響しているところもあると思います。
Q.日本人のアイデンティティについて描かれた『冒険王』が、韓国の若者に受け入れられたのは、理由があるんでしょうか。
韓国は日本以上に早いスパンで成長してきた国なんですね。2015年に『国際市場で会いましょう』という映画がヒットしたんですけれども、その作品の前半では「貧乏だから植民地化されたんだ」「国が弱いから分断されたんだ」といったことが描かれています。常に「貧乏だから」「弱いから」ということが成長のモチベーションになっていて、後に「漢江の奇跡」といわれる高度経済成長を成し遂げたわけです。しかし、1990年代末には大きな通貨危機を経験することになります。この出来事は、韓国にとって日本には想像できないほどの大きな挫折だったんですね。その後、徹底的な経済優先政策を取るようになり、財閥を優先して極端に資本を集中させることで経済は急回復しました。しかし、その政策の影響で国内では今、ものすごい格差が起こってしまっています。
こういった時代を経てきた韓国の若者たちは日本以上の屈折があるわけです。「軍事独裁政権を倒して民主化し、左翼政権まで実現したけれども、結局こういった状況になってしまった。自分たちは何を求めていたんだろう」と。ある意味で言えば、アイデンティティの喪失は日本の若者よりも大きい。そういった点において『冒険王』は非常に受け入れられたんじゃないかと思います。
Q.韓国の人たちにとっても、現代口語演劇の言葉の使い方や同時多発的な演出というのは理解されているのでしょうか。
僕たちは1993年に『ソウル市民』で初めて韓国公演を行いました。何か反発があるんじゃないかと思ったんですが、反応すらなかったですね。青年団自身もまだ日本でそんなに有名ではなかった時代でした。何しろ当時は関西公演もまだしたことがなくて「大阪はソウルよりも遠い」と僕たちは言っていたので(笑)。その後、2002年に日韓合同公演として創った『その河を越えて、五月』は日本と韓国両方で大きな演劇賞をいただくことができ、その時期からやっと現代口語演劇というものが認められるようになりました。数年後には劇団PARKで『東京ノート』を翻案した『ソウルノート』が上演され、大ヒットしました。韓国で有名なパク・カンジョンさんが手がけた作品ということもあり、ロングラン公演の中で韓流スターが入れ替わり立ち替わり出演し、話題を呼んだことで作品が知られるようになりました。
今では僕が書いた初期の評論が翻訳出版され、『演劇入門』など大学の教科書として使われるようになりました。ソン・ギウンさんをはじめ、僕と同じような演出方法を行っている人もいますし、僕が韓国の大学で、ワークショップや授業で教える機会もあります。韓国公演のアフタートークで話していても「なんでいろんな人が同時にしゃべるんですか」といった質問は出てきません。そういったところから見ても、僕の演劇様式は、韓国でも理解されていると思います。
(2015年12月、大阪市内にて)
青年団第74回『冒険王』『新冒険王』
作・演出/平田オリザ
平成28年
2月19日(金)19:30『冒険王』
2月20日(土)15:00『冒険王』/18:00『新・冒険王』
2月21日(日)15:00『冒険王』/18:00『新・冒険王』
2月22日(月)13:00『新・冒険王』
※22日(月)13:00のチケットは劇団のみ取り扱い。
詳細はコチラ