アイホール・アーカイブス
「みんなの劇場」こどもプログラム
えほんミタイナえんげき『どくりつ こどもの国』
関係者インタビュー
アイホールでは今夏、主催事業「みんなの劇場」こどもプログラムで、14年ぶりの再演となる“えほんミタイナえんげき『どくりつ こどもの国』”を上演します。本作は、(一財)地域創造の創造プログラムの対象事業となっており、2年連続での製作を予定しています。1年目の今年はもともと音楽劇だった本作をストレートプレイにリブート。来年は、本来の音楽劇として、東リ いたみホールで上演予定にしています。公演に先駆け、作者の岩崎正裕さん(劇団太陽族)、演出の橋本匡市さん(万博設計)、出演者を代表して千田訓子さん(万博設計)にお話を伺いました。
■『どくりつ こどもの国』誕生のきっかけ
岩崎正裕(以下、岩崎):『どくりつ こどもの国』は、アイホールからこども向けのプログラムを作ろうという話を受け、作ることになったのですが、正直僕は「子どものためのプログラム」という枠組みにすごく戸惑ったんです。というのも、僕はわが子が産まれるまで、子どもが嫌いだったんですよね。できれば触れたくないと思っていました。ただ、それでこの先、演劇で家族や子どもとかを描くことができるのかと思い、結婚してみようと思ったんですね。その後、妻が出産をして子どもを抱いた時に、ちょっと不思議な感覚にとらわれたんです。「こういう小さい命を奪われるようなことがあってはならない」って、直感的に思ったんですね。その感覚をもとに書いたのが、この『どくりつ こどもの国』でした。
初演は音楽劇でした。その当時、僕が作ってたお芝居は対話が延々続いてるだけで、子どもには楽しくもなんともないので、方法論を変えて、音楽劇を作ろうという発想になりました。今回は音楽をなしにして短く見やすい作品にするということになりました。
■北欧神話をベースにしたファンタジー
岩崎:平成20年当時から変えていないのは、世界のあちこちで戦争が起こってる時代の話という点です。冒頭、学校内で孤独を感じている図工クラブのメンバーの少女“ましろ”が“ワルハラ”という名前の町に引っ越しをします。この作品は、北欧神話を参考にしていて、ワルハラというのは “ワルキューレ※[1] ”ですね。ある夜、子どもたちが先生の家の庭に集まったところ、空にオーロラが輝いて、その中から、どこの国の子とも知れない子ども(クウ)が落っこちてくるんですね。それと時を同じくして、どこかの軍隊のパイロットもパラシュートで落下してくる。子どもたちにクウと兵士を加えた集団が、海を越えてそのワルハラにたどり着くのが、このドラマのコアな部分です。
■音楽劇からストレートプレイへ
岩崎:前回が音楽劇ということもあり、登場する子どもたちの名前にも「ドレミ」の音階が入っていたのですが、今回は、図工クラブのメンバーという設定にしています。登場人物の名前の中にも「ましろ」とか「すみれ」とか、それぞれ色が入っていて、最後、それが虹のように一つのイメージになります。
色や絵というイメージの着想のきっかけは、2015年に長野県上田市のサントミューゼという劇場で行った、上田市の高校生と『どくりつ こどもの国』を題材としたワークショップと発表公演でした。上田市には戦没画学生の絵だけを展示している「戦没学生慰霊美術館 無言館」という施設があります。本番では、無言館の絵を実際に借りて、観客と出演者が共に美術館内を動く「移動演劇」として上演し、最終幕では、壁にずらっと戦没学生の絵が並ぶ中で演じました。
■演出や舞台美術などについて
橋本匡市(以下、橋本) :岩崎さんとは、僕が20歳の頃に、学生と講師という関係で出会いました。こうして改めてアイホールのプロデュース公演という場で、演出と作家という形で関われることは、個人的にはすごく重みのあることだと思っています。振付として、身体表現をメインに活動されている槇なおこさん※[2]に関わっていただき、役者の身体と岩崎さんの書いた言葉をどのように一致させていくか、また、アイホールという空間をどう使うか共に探っています。
俳優同士、あるいは舞台美術や空間と楽しくコミュニケーションをとっている姿を見せながら、戯曲にしたためられた言葉が浮き上がってくるような演出にしたいと思ってます。
美術は今回、サカイヒロトさんに入っていただいてますが、古代ギリシャ時代に用いられたペリアクトイ※[3]という舞台美術のスタイルを使う予定です。実際その時代は、音響や照明効果も今ほどはない中で、お客さんの想像力を信じて作ってたはずです。今回の公演も「観客の想像力」を頼りにして作りたいです。また、客席に入り込めるような空間を作って、俳優と観客の間に想像の世界が立ち上がる面白さを楽しめる仕掛けになっていると思います。
岩崎:役者さんたちは完成した台本のこと、なにか言ってましたか。
橋本:泣いてましたね。子ども向けというよりは、単純に大人である自分に刺さったとか、子どもだけでなく、ぜひ大人の人も見ていろいろと感じてほしいという感想が多かったです。
岩崎:でも一応、子どもに向けて作ってほしいな(笑)
橋本:もちろん(笑) でも、大人の中にも必ず子どもの部分が残っていると思うので、そこに向けて演出すると、おのずと子どもも大人も楽しんで見ていただける作品になるんじゃないか。そこは、稽古中も徹底していこうと考えています。
岩崎:大人がいいと思わないと子どもは劇場にこれないです。チケット料金を出すのは大人だから、大人と子ども両方に認められるような作品になるといいですよね。
橋本:親御さんには親御さんにしか見えない世界でこの作品を見て楽しんで、お子さんはお子さんの視点で楽しかったっていうことを言えるような作品にしたいです。
岩崎:それぞれの感想を帰って夜の食卓で語り合う。子どものための演劇っていうのは、そういうものであるべきだと思いますね。
■出演者について
橋本:今回、千田訓子さん、加藤智之さん、井上多真美さんの3名は当初から出演をお願いしていたのですが、他の方は、アイホールとしても3年ぶりとなる出演者オーディションで選びました。若手、中堅、ベテラン問わず、72名とお会いして、その中から9名の方にご出演いただくことになりました。コロナ禍ではオーディションの機会も少なかった中で、オーディションを行い、改めて3年間という時間の長さと、「舞台に立ちたい」という俳優の飢えみたいなものをすごく感じました。オーディションでは、模擬稽古みたいなことをさせていただきました。72人も見るとへとへとになりましたけれども、この作品に必要不可欠な精鋭が集まったと思っています。
千田訓子(以下、千田):去年お話をいただいて、アイホールの舞台にまた役者として立てるのがすごく嬉しくて、受けさせていただきました。でもその後、変形性股関節症という病気になり、手術をして、当面歩けない状態になってしまいました。それで、いったん出演を諦めかけたのですが、劇場の皆様や岩崎さん、橋本さんから温かいお言葉や気持ちやらいろいろ背中を押していただいて、今回の出演を改めて決意し、今ここにおります。
私が演じるのは「ましろ」という少女のお母さんの役です。子どもに依存している教育ママという役どころなんですが、この教育ママは自分の強いていることが、正義だと思ってる部分があるんですね。「子どものためにこれだけ言ってるのよ私は!」という思いがあるけど、子どもにとっては劇中にものすごい巨大な悪者として出てくる。大人には、親としての一面を理解してもらって、観てる子どもは怖がってもらおうと思います。
岩崎:ましろの母親はワルハラのお城に住んでる女王という設定です。お城には「世界を描くキャンバス」というのがあり、娘の“ましろ”はそれに向かって正しい世界のデッサンをしなきゃいけない。母は娘に対して「デッサンを少し間違えると世界のどこかで人が死に、もう一つ間違えると、2人の子どもが飢えて、消そうとすると、大きい街が丸ごと消えるからお前はきちんとデッサンしなさい」ということを言い続けるんですね。
千田:そういうすごく大きな役どころを、車椅子に乗っていながら舞台にどのように存在できるのかというところを今から稽古で取り組んでいこうかなと思っております。
岩崎:今回は多様性のドラマなので、車椅子の出演者がいらっしゃるのってとっても素晴らしいと思っていますよ。
千田:演出の橋本さんが、この世界をどういう風に彩っていくのかなというのが楽しみです。役者として、たくさんの色の中の一色になれるように楽しんでやっていけたらなと思います。
■現代社会が抱える問題に照らし合わせて
岩崎:この作品を書くにあたって、当時、北村想さんに非常に大きい示唆をいただきました。「子ども向きの演劇というのは、甘いお菓子じゃ駄目だ、そういうものだけ食べていると、しっかりした背骨や筋力のある大人になれないので、子どもの演劇こそ、毒を入れてなきゃいけない」とおっしゃった。
今作でいうと“戦争の中で子どもたちがどうするか”や先ほど話した“母子間の依存”そして、ベッドから物心ついてから降りたことがない少女もでてきますが、そこには“不登校”の問題もからんでいます。さらにどこの国の子ともわからない少年クウは、花売りをしている。つまり“貧困”の問題です。社会が孕んでいるたくさんの毒がこのドラマを支えています。
橋本:共依存の問題は、虐待の問題なども含まれていて、多くの人には現代の社会問題として、むしろ15年前より今見た方が、身近に感じてしまうかもしれません。
それに“戦争”というテーマは、現在実際に行われているロシアとウクライナに照らし合わせて観る方は多いと思います。遠くて近い世界との距離について考える手立てになる作品なんじゃないでしょうか。
岩崎:後半で勝負をかけてるセリフがあります。それは権力にとりつかれた兵士がクウに向かって「お前は子どもだから、正義の反対は悪だと思ってるんだろう。正義の反対はもう一つの正義なんだよ」というものです。それがまさにウクライナとロシアの問題が二重写しになって見えてくるセリフだなと思っています。戦争の問題は、15年前より一層身近になってる感じがしますね。
■タイトルに込めた思い
岩崎:「どくりつ こどもの国」という言葉は、中島らもさんのエッセイ『ポケットが一杯だった頃』の中からイメージをもらいました。らもさんの定義では、「どくりつ こどもの国」は大統領が12歳で、子どもたちにとっては、大人に干渉されないとても幸せな国なんです。でも実は虹を超えた先にある死んだ子どもの行くところで、つまり、“どくりつ こどもの国”は死の国なんですね。クウはそこを目指すんですけど、彼が子どもたちに一緒に行くかどうかを問いかけるのがいちばんのクライマックスです。
クウが乗っているオーロラにも意味があり、北欧神話では、オーロラは死んだ兵士を運ぶものなんです。子どもって死から遠いので、あんまり死について考えないでしょ。でも、子どもが死について考えるのは、実はとても大事なことじゃないかと思っています。
“えほんミタイナえんげき”という副題は初演にはなく、『どくりつ こどもの国』だけだと、子どもにとって演劇なのか何なのかよくわかんないと思ったんです。色や絵がテーマということで“絵本”という言葉は入れたかった。そして、演劇だということも伝えたい。それで2つをカタカナの“ミタイナ”でつなげました。「~みたいな」という意味の他に「みんなが見たくなる」という思いも込められています。
橋本:聞いた時のイメージとして、飛び出す絵本じゃないですけれども、絵本を見てたら、ワーッと何かが飛び出してきて、観ている人にも入りこんでくるイメージで作品を作れるといいなと思っています。
■質疑応答
Q1:現実とワルハラと2つの世界があるんですね。
岩崎:そうです。例えば、図工クラブの先生は、トネ先生と言いますが、ワルハラのファンタジーの世界の中では、リコ先生という“ましろ”の家庭教師なんです。この二つの名前を繋げると、「トネリコ」というキーワードが浮かび上がってきます。北欧神話ではトネリコというのが、世界を支える樹の中心として描かれてるんですね。こういう設定は、昔より今の子たちの方が馴染むんじゃないかと思います。いわゆるアメリカン・コミックスものの映画とか見てても、もう「マルチバース」ばっかりですよね。この現実世界だけでなく、現実と似ている並行世界でも色んな出来事が起こっている。それを15年前に先取りしてたんです。
Q2:今回、音楽劇じゃなくてストレートプレイにするにあたって、歌以外のところで、手を入れてるところがありますか?
岩崎:歌ってしまえば、全ての情報がファンタジーとして昇華できるんですけど、ストレートプレイでそれをやるのは結構難しいですね。例えば、「どくりつ こどもの国ってどんなとこ?」というのも、初演ではクウが歌ったらもう全てOKだった。そこを今回は、クウに子どもたちが輪になって触れるとイメージがテレパシーのようになって、それが言葉になると、「どくりつ こどもの国」のイメージが顕在化するみたいな方法をとっています。
Q3:2年目に関しては音楽劇として、初演に近いものを再演するということでしょうか。
岩崎:もう1回音楽劇にするってことは、昨今のミュージカルのような、セリフがものすごく少ない、全編音楽だけで構成されてる音楽劇ができたらいいなって妄想してます。今年のストレートプレイと音楽劇の両方で見るとさらに面白いというようにならないといけないので。
※[1] ワルキューレ…北欧神話において、戦場で生きる者と死ぬ者を定める女性、およびその軍団のこと。
※[2] ダンサー・振付家。7歳よりバレエを始め、2001年、法村友井バレエ団入団、同年モスクワバレエアカデミーに留学。2006年ロシア国立モスクワ児童音楽劇場に入団。帰国後はフリーダンサーとして活躍。近年は演劇とダンスの融合した表現を模索する一方、バレエスクールを設け、人材育成にも励んでいる。2023年より万博設計に入団。
※[3] 古代ギリシャ演劇の舞台装置の一種。ギリシャ語で回転の意。基本的には木製の大きな三角柱で、三面にそれぞれの場面が描かれおり、軸を回転することによって3つの異なる情景が現れる。
(2023年6月 大阪市内にて)
【公演情報】
AI・HALL主催事業 「みんなの劇場」こどもプログラム
えほんミタイナえんげき『どくりつ こどもの国』
作|岩崎正裕(劇団太陽族)
演出|橋本匡市(万博設計)
2023年
8月5日(土)11:00/15:00
8月6日(日)11:00/15:00
公演詳細