アイホール・アーカイブス
マームとジプシー 藤田貴大インタビュー
アイホールでは9月13日(水)・16日(土)~17日(月)に自主企画として、MUM&GYPSY 10th Anniversary Tourを開催します。公演に先駆け、マームとジプシーの藤田貴大さんにお話を伺いました。
■マームとジプシーについて
マームとジプシーは、2007年、僕が大学4年生のときに立ちあげ、今年で10年目を迎えました。劇団ではなく、基本的には僕一人です。「マームとジプシー」とは、作品を生み出す「僕」という確固たる母体があって、それを「マーム」と考えています。そして、次に、まずは技術スタッフや、衣裳や音楽など、作品を一緒に作りたいと思う作家さんと僕が考えている作品について話しながら具体的にカラーを決めていきます。そして次に、俳優のキャスティングを行い、最後に観客を集めるという順番が重要と思っています。僕(マーム)で始まった作品が、色んな人を放浪すること(ジプシー)を団体の名前にしました。このシステムは僕がいちばんやりたかったことですし、結果、他ジャンルとのコラボレーションがしやすくなりました。劇団のシステムだと、次の公演にこの劇団員を出演させなきゃいけないとか、出演者ありきで作品を考えざるをえないでしょ。このシステムだと、例えば、寺山修司さんの作品をするなら芸人であり小説家の又吉直樹さんに居てほしいとか、歌人の穂村弘さんとご一緒したいとか、そういうところから作品をスタートさせることができた。もちろん10年も続けていると、レギュラーで関わってくれる俳優も出てきていますが、今でも僕は劇団とは思っていません。
あと、「ジプシー」という名前のとおり、「旅」ということも設立当初から大事に考えてきたことです。そのため、色んな場所に作品を持っていくことも僕の大事な仕事のひとつだと考えています。特に今回、演劇でのツアーの在り方を考えたいと思い、複数の演目を持って各地を回ることにしました。10年のあいだに書いて別々に上演した10個の作品を、「家族・家」「動物・人体」「夜・不在」とそれぞれのモチーフごとに3つずつまとめて、計3作品へと再編集し、そこに『あっこのはなし』を加えて、計4作品をツアーの演目として用意しました。だから10個の作品を持って回るという状態にしました。普通、演劇のツアーは、ひとつの作品で各地を回ることが多いですよね。でも今回、ツアーの新しい形として、「複数の作品を持ってきたので、どれを見るかは、観客のみなさんが選んでください」という枠組みにしたかった。全部の作品を観て欲しいというだけではなく、観客がどの作品を見るかを、主体的に選ぶことを大切にしたかったんです。結果、各地域で2~4演目を上演するという特殊なツアーを組むことができました。伊丹では『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと――――――』と『あっこのはなし』を上演します。
マームとジプシーは、2007年、僕が大学4年生のときに立ちあげ、今年で10年目を迎えました。劇団ではなく、基本的には僕一人です。「マームとジプシー」とは、作品を生み出す「僕」という確固たる母体があって、それを「マーム」と考えています。そして、次に、まずは技術スタッフや、衣裳や音楽など、作品を一緒に作りたいと思う作家さんと僕が考えている作品について話しながら具体的にカラーを決めていきます。そして次に、俳優のキャスティングを行い、最後に観客を集めるという順番が重要と思っています。僕(マーム)で始まった作品が、色んな人を放浪すること(ジプシー)を団体の名前にしました。このシステムは僕がいちばんやりたかったことですし、結果、他ジャンルとのコラボレーションがしやすくなりました。劇団のシステムだと、次の公演にこの劇団員を出演させなきゃいけないとか、出演者ありきで作品を考えざるをえないでしょ。このシステムだと、例えば、寺山修司さんの作品をするなら芸人であり小説家の又吉直樹さんに居てほしいとか、歌人の穂村弘さんとご一緒したいとか、そういうところから作品をスタートさせることができた。もちろん10年も続けていると、レギュラーで関わってくれる俳優も出てきていますが、今でも僕は劇団とは思っていません。
あと、「ジプシー」という名前のとおり、「旅」ということも設立当初から大事に考えてきたことです。そのため、色んな場所に作品を持っていくことも僕の大事な仕事のひとつだと考えています。特に今回、演劇でのツアーの在り方を考えたいと思い、複数の演目を持って各地を回ることにしました。10年のあいだに書いて別々に上演した10個の作品を、「家族・家」「動物・人体」「夜・不在」とそれぞれのモチーフごとに3つずつまとめて、計3作品へと再編集し、そこに『あっこのはなし』を加えて、計4作品をツアーの演目として用意しました。だから10個の作品を持って回るという状態にしました。普通、演劇のツアーは、ひとつの作品で各地を回ることが多いですよね。でも今回、ツアーの新しい形として、「複数の作品を持ってきたので、どれを見るかは、観客のみなさんが選んでください」という枠組みにしたかった。全部の作品を観て欲しいというだけではなく、観客がどの作品を見るかを、主体的に選ぶことを大切にしたかったんです。結果、各地域で2~4演目を上演するという特殊なツアーを組むことができました。伊丹では『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと――――――』と『あっこのはなし』を上演します。
■作品について
『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと――――――』(以下、ΛΛΛ)は、岸田國士戯曲賞を受賞した『帰りの合図、』『待ってた食卓、』に、『ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。』を加えた3作品を再編集しました。家や実家にまつわる話で、タイトルにある「ΛΛΛ」は、屋根のイメージです。「Λ」が「ラムダ」という記号らしいので、そう呼んでいます。読み方がよく分からない言葉をタイトルにつけたかった。僕は北海道で育ちましたが、群馬の祖母の家で生まれました。その群馬の家が区画整理で取り壊されたエピソードをモチーフにしました。そして、実家を出たあとに久しぶりに帰郷したら、上京する前に家族で囲っていた食卓と何かが違うという感覚ってありますよね。そんな自分の実体験をモチーフにしています。そして、2011年以降、「帰る」という言葉の意味合いが大きく変わったと感じています。震災や自然災害で実際に、帰る場所がなくなってしまった人がいる。家がなくなる、帰る場所がなくなるとは、どういうことなのか、それを区画整理で取り壊された家に重ねながら描いた作品です。
『あっこのはなし』は、斎藤章子という女優の話をモデルに、30代女性のリアルな悩みを描いた作品です。大学卒業後、彼女が演劇を辞めて地元の新潟に帰り、学校事務の仕事をしながら悶々としていたときの話で、地元に残って結婚してという人生を選ぶこともできたのに、結局一年ほどで東京に戻って、演劇を再開しました。そんな彼女の当時の話を軸に、脱毛とかアカスリとか婦人科系の病気のこととか、そういう話題を織り交ぜて、女子がくちゃくちゃとずっと話しているところを見ているような、そんな作品です。構造としては、『あっこのはなし』のタイトルに読点を入れて、「あっ、このはなし」とか「あつこのは、なし」というように、読点が移動することでプロットを組みました。すごく軽やかな作品で、他の作品とは少し毛色が違います。今回のツアーで上演するのは、『あっこのはなし』以外、全て20代に発表したものを再編集した作品で、それらは自分の10代の頃を思い出しながら描いた「記憶」の話が多い。だから、マームとジプシーはすごくノスタルジックな作風だと思われても仕方がないんだけど、それだけではちょっと嫌だったので、今の30代のトーンとして、この作品は各地で上演したかったんです。
■「選ぶ」にこだわったツアー
僕が作品をつくるときに常に意識していているのは、18才の頃の自分が興奮するものが作れているかどうかということ。世間的な評価ではなく、「18才の頃の自分の評価」がいちばん重要で、ひとつのラインになっています。僕は、北海道の人口3万人ぐらいの小さな町で10才のときに演劇を始めたので、その町で上演される作品は全て観なくちゃいけないと思っていました。来た劇団のたったひとつの作品を観て、これがその劇団の作風なんだと思っていたんです。それなのに雑誌の紹介で読んだ内容と自分が観たものとが違う…みたいな体験もして、すごく悶々としていました。だからこそ、今回のツアーは、複数の作品を上演して、観客に作品を選んでもらうことと、マームとジプシーの色んな側面を見せたいと思ったんです。
あと、マームとジプシーの客席は、演劇を観たい人だけが集う場所でなくてもいいと思っています。例えば今回の衣裳は、ファッションブランドを手掛けるスズキタカユキさんなので、ファッションに興味がある、そのブランドが好きだから観にくるでもいいですし、ΛΛΛの音楽は石橋英子さんなので、石橋さんの音楽が好きだから観に来る人が居ても良いわけです。演出家って、ちょっと大げさに「これは演劇作品です」と言えちゃうわけだけど、僕の場合はどちらかというと、お客さんの集め方は「お店」のような感覚でいます。音楽も聴けるし、ファッションも直接観ることができるし、誰かが書いた物語も味わうことができる、そんな「お店」。ただ、この演劇っていうお店は単価が高い。今回なら一人3500円。これを来た人に確実に払わせる、しかも何も買わずに冷やかして帰ることができないという…。だから作品の中身でも、観客が自分の好きなところを選んで観られるよう、俳優だけでなく衣裳や音楽や美術などいろいろ配置することを大事にしています。今回のツアーでは、「演目を選べる」というだけではなく、そんな風に「作品の中で自分が観たい部分が選べる(焦点を合わせられる)」というダブルの「選べる」をツアーとして持っていくことができたら、昔、自分の町に来てくれた劇団とは違う質感を与えることができると思ったんです。
■決定版をつくる
これまでも過去作品の再編集を繰り返して、その時点で発表するためのいちばん良い形にしてきましたが、今回のツアーで、それぞれの作品の決定版を創ったつもりです。今後、どんな場所でやってもいつ発表しても大幅な編集を加えないんじゃないかなと思うぐらい、演劇としての強度があると思っています。どの作家さんもそうだと思うけど、僕も一つの作品で一つのモチーフを満足に語れたということは無くて。もうちょっと入れ込みたかったエピソードをそぎ落としていることが多い。例えば、「家」というモチーフも、これまでいろんな作品で挑戦してきたけど、ひとつの作品だけでは描き切れなかったという悔いが残っています。それで、もっと深く考えたかったことを今の自分たちのスキルやポテンシャルで再編集してみたらどうなるか、と思って取り組みました。オリジナルの単体の作品がいいと言ってくれている人もいらっしゃるので、再編集したことによって、その良さが消えないよう、すごく気を付けています。全く新しくするのではなく、単体のときのニュアンスもちゃんと残るように再編集することを心掛けています。
20代のころは、自分の18才までの時間を描くということに費やしてきました。だけど、30代になって、子どもの頃の時間が遠くなってきた。これから描く新作は、今までとはモードもモチーフも大きく変わってくると思うんです。この10周年のタイミングで、今までの作家としての自分の流れを、一回、ストップさせたかった。
これまでも過去作品の再編集を繰り返して、その時点で発表するためのいちばん良い形にしてきましたが、今回のツアーで、それぞれの作品の決定版を創ったつもりです。今後、どんな場所でやってもいつ発表しても大幅な編集を加えないんじゃないかなと思うぐらい、演劇としての強度があると思っています。どの作家さんもそうだと思うけど、僕も一つの作品で一つのモチーフを満足に語れたということは無くて。もうちょっと入れ込みたかったエピソードをそぎ落としていることが多い。例えば、「家」というモチーフも、これまでいろんな作品で挑戦してきたけど、ひとつの作品だけでは描き切れなかったという悔いが残っています。それで、もっと深く考えたかったことを今の自分たちのスキルやポテンシャルで再編集してみたらどうなるか、と思って取り組みました。オリジナルの単体の作品がいいと言ってくれている人もいらっしゃるので、再編集したことによって、その良さが消えないよう、すごく気を付けています。全く新しくするのではなく、単体のときのニュアンスもちゃんと残るように再編集することを心掛けています。
20代のころは、自分の18才までの時間を描くということに費やしてきました。だけど、30代になって、子どもの頃の時間が遠くなってきた。これから描く新作は、今までとはモードもモチーフも大きく変わってくると思うんです。この10周年のタイミングで、今までの作家としての自分の流れを、一回、ストップさせたかった。
■リフレインのこと
演劇の作品の中で、「繰り返し」のことを「リフレイン」と言い出したのは僕です。最初は「リピート」だと思っていて、物語を読み解くための有効な方法だと認識していたんです。繰り返したり、違う角度で同じシーンを見せることで、観客のなかで整理されたり、全体の編集がうまくいくことがあったので。それで稽古のときに、同じところを執拗にリピートしていたら、ある日、一人の女優が泣き始めて…。そのとき、繰り返しをすることで感情が助長されたんだと勘違いしたんです。本当は僕の稽古がつらくて泣いていたそうなんですけど(笑)。でも、それを見て閃いたんです。映像は一回のテイクで違う角度から撮ることもできるから、再生するとすごく写実的にリピートができる。けど、演劇は生身の人間がやるから、1回目と2回目は違うものになってしまう。そのときに、演劇におけるリピートは不可能だ。つまり僕が扱う「繰り返し」は「リピート」ではなく「リフレイン」なんだと気づきました。
そもそも演劇自体が、繰り返しの作業ですよね。俳優でいうと、映画や映像は撮影したときが決定版で、僕ら観客は数カ月とか数年前の過去に撮影された俳優の姿を見るわけです。でも演劇は生だし、テキストは過去のものだけど、それを再生しているのは「今」で、僕らは俳優の「今」の姿を見る。だから、映像と舞台の俳優に求められることはそれぞれ違っていて、映像の俳優はこのシーンを何テイクで終わらせるかといった瞬発力が要求されるけど、舞台の俳優には繰り返しの力が求められる。同じことを何度でもやれるのが絶対条件で、それがちゃんとできる人が舞台俳優です。それに、演劇は何回も何回も稽古をする。本番もツアーだと何ステージもやって、それこそ一カ月間とか同じことを繰り返す。その繰り返す行為自体が演劇の醍醐味でもある。稽古場で繰り返し稽古をしてシーンを成立させていく感動もあるし、稽古を何回もすることでやっと自分の書いたものの意味が理解出来たり、公演期間中に出演している俳優の良さがわかったりすることもある。生身の人間だから、繰り返すことで身体に刻み込まれていくものが必ずあって、1回目より3回目のときのほうが俳優の感情の出方が違うということを、観客にも観察してもらいたいと思いました。そういうことができたら、ただ再生ボタンを押してリピートするだけじゃない、演劇にしかできない表現になるんじゃないか。そう思って始めたのが「リフレイン」です。
演劇の作品の中で、「繰り返し」のことを「リフレイン」と言い出したのは僕です。最初は「リピート」だと思っていて、物語を読み解くための有効な方法だと認識していたんです。繰り返したり、違う角度で同じシーンを見せることで、観客のなかで整理されたり、全体の編集がうまくいくことがあったので。それで稽古のときに、同じところを執拗にリピートしていたら、ある日、一人の女優が泣き始めて…。そのとき、繰り返しをすることで感情が助長されたんだと勘違いしたんです。本当は僕の稽古がつらくて泣いていたそうなんですけど(笑)。でも、それを見て閃いたんです。映像は一回のテイクで違う角度から撮ることもできるから、再生するとすごく写実的にリピートができる。けど、演劇は生身の人間がやるから、1回目と2回目は違うものになってしまう。そのときに、演劇におけるリピートは不可能だ。つまり僕が扱う「繰り返し」は「リピート」ではなく「リフレイン」なんだと気づきました。
そもそも演劇自体が、繰り返しの作業ですよね。俳優でいうと、映画や映像は撮影したときが決定版で、僕ら観客は数カ月とか数年前の過去に撮影された俳優の姿を見るわけです。でも演劇は生だし、テキストは過去のものだけど、それを再生しているのは「今」で、僕らは俳優の「今」の姿を見る。だから、映像と舞台の俳優に求められることはそれぞれ違っていて、映像の俳優はこのシーンを何テイクで終わらせるかといった瞬発力が要求されるけど、舞台の俳優には繰り返しの力が求められる。同じことを何度でもやれるのが絶対条件で、それがちゃんとできる人が舞台俳優です。それに、演劇は何回も何回も稽古をする。本番もツアーだと何ステージもやって、それこそ一カ月間とか同じことを繰り返す。その繰り返す行為自体が演劇の醍醐味でもある。稽古場で繰り返し稽古をしてシーンを成立させていく感動もあるし、稽古を何回もすることでやっと自分の書いたものの意味が理解出来たり、公演期間中に出演している俳優の良さがわかったりすることもある。生身の人間だから、繰り返すことで身体に刻み込まれていくものが必ずあって、1回目より3回目のときのほうが俳優の感情の出方が違うということを、観客にも観察してもらいたいと思いました。そういうことができたら、ただ再生ボタンを押してリピートするだけじゃない、演劇にしかできない表現になるんじゃないか。そう思って始めたのが「リフレイン」です。
■26歳での受賞から今まで
26歳で岸田國士戯曲賞を受賞できたことは、何かの免許証みたいなものをいただけた感じでとても感謝しています。けど、実は26歳の段階で評価されてしまったことに結構焦りました。26歳までの自分の言葉はもうみんなは楽しんだんじゃないか、ここまでの君の言葉は評価したから次を見せてよと言われているように感じたんです。そのとき、人生は途方もなく長いと思いました。もっと僕の言葉が熟成してからいただいても良かったんじゃないか、今から考えるとすごく追い込まれていたと思います。
でも、そのときの僕の勘は良かったと思うのですが、それから、自分の言葉だけで書くのをやめて、受賞の数カ月後から「マームとだれかさん」シリーズとして、漫画家やミュージシャンといった他ジャンルとのコラボレーションを始めました。ここからは自分じゃない言葉と出会おうと。そこからの4年間、野田秀樹さんや寺山修司さん、シェイクスピアの戯曲を演出したり、他ジャンルの人を巻き込んだ作品をつくったり、コラボレーションに費やしました。 “演劇”という表現でやれることを増やそう、そう考え始めると、また楽しくなったんです。コラボレーションを続けていくと、漫画家さんってこういう悩み方をするんだとか、バンドの組織づくりってこうなんだと、他ジャンルの人たちから学ぶことも多かった。それは、僕だけじゃなくて制作面も。自分たちの大切なものを守りながら大きくなっていこうとするにはどうしたらいいんだと考えて、2014年に「マームとジプシー」を会社化したのも、例えばファッションブランドとか音楽バンドの組織づくりから具体的な影響を受けています。
このコラボレーションは、『蜷の綿』(※注)を書き終えて―この作品は蜷川さんとのコラボレーションと位置付けています―ひと段落したと感じています。自分の作品を成立させるために、今回はこの人の衣裳がいいとか、この人の音楽がいいとか、あえて「コラボレーション」という言葉を使わなくても扱えるようになってきた。外側の人によって内側を変革していくという意識で始めたけど、今やコラボレーションしてきた人たちがどんどん僕の座組の内側に入ってきている。一周回ったと感じています。だから、自分の言葉だけで悶々と考えるんじゃなくて、他ジャンルの良さを吸収しながら自分の言葉を強めていきたい。やっと、自分の言葉に戻ってきている感じがしています。
26歳で岸田國士戯曲賞を受賞できたことは、何かの免許証みたいなものをいただけた感じでとても感謝しています。けど、実は26歳の段階で評価されてしまったことに結構焦りました。26歳までの自分の言葉はもうみんなは楽しんだんじゃないか、ここまでの君の言葉は評価したから次を見せてよと言われているように感じたんです。そのとき、人生は途方もなく長いと思いました。もっと僕の言葉が熟成してからいただいても良かったんじゃないか、今から考えるとすごく追い込まれていたと思います。
でも、そのときの僕の勘は良かったと思うのですが、それから、自分の言葉だけで書くのをやめて、受賞の数カ月後から「マームとだれかさん」シリーズとして、漫画家やミュージシャンといった他ジャンルとのコラボレーションを始めました。ここからは自分じゃない言葉と出会おうと。そこからの4年間、野田秀樹さんや寺山修司さん、シェイクスピアの戯曲を演出したり、他ジャンルの人を巻き込んだ作品をつくったり、コラボレーションに費やしました。 “演劇”という表現でやれることを増やそう、そう考え始めると、また楽しくなったんです。コラボレーションを続けていくと、漫画家さんってこういう悩み方をするんだとか、バンドの組織づくりってこうなんだと、他ジャンルの人たちから学ぶことも多かった。それは、僕だけじゃなくて制作面も。自分たちの大切なものを守りながら大きくなっていこうとするにはどうしたらいいんだと考えて、2014年に「マームとジプシー」を会社化したのも、例えばファッションブランドとか音楽バンドの組織づくりから具体的な影響を受けています。
このコラボレーションは、『蜷の綿』(※注)を書き終えて―この作品は蜷川さんとのコラボレーションと位置付けています―ひと段落したと感じています。自分の作品を成立させるために、今回はこの人の衣裳がいいとか、この人の音楽がいいとか、あえて「コラボレーション」という言葉を使わなくても扱えるようになってきた。外側の人によって内側を変革していくという意識で始めたけど、今やコラボレーションしてきた人たちがどんどん僕の座組の内側に入ってきている。一周回ったと感じています。だから、自分の言葉だけで悶々と考えるんじゃなくて、他ジャンルの良さを吸収しながら自分の言葉を強めていきたい。やっと、自分の言葉に戻ってきている感じがしています。
■伊丹公演に向けて
Twitterを見ていると3カ月に1回は必ず誰かが「マームとジプシーは関西にきてくれないの?」ってつぶいているんだけど、京都や大阪には実は結構来ているんですよ。でも、伊丹は初めてです。僕は、演劇はいろんなジャンルを巻き込める表現でそれが強みだと思っている。演劇はこういうふうに新しくなっているよというのを伊丹でもお見せしたいと思っています。僕の作品は、表現のスタイルがちょっと現代的なので、とっつきにくい印象があるかもしれませんが、扱っているテーマは「家」とか「家族」とか普遍的なものであるので、楽しんでもらえたらと。
※注
『蜷の綿-Nina‘s Cotton』…2016年、“蜷川幸雄”の物語を藤田貴大が書き下ろし、蜷川本人による演出と藤田演出の二作同時上演予定であったが、蜷川氏の体調不良に伴い公演延期となり現在も未上演。
『蜷の綿-Nina‘s Cotton』…2016年、“蜷川幸雄”の物語を藤田貴大が書き下ろし、蜷川本人による演出と藤田演出の二作同時上演予定であったが、蜷川氏の体調不良に伴い公演延期となり現在も未上演。
MUM&GYPSY 10th Anniversary Tour 伊丹公演
作・演出/藤田貴大
『あっこのはなし』
2017年9月13日(水)19:00
『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと――――――』
2017年9月16日(土)15:00・19:00
9月17日(日)14:00
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