アイホール・アーカイブス
天野天街(少年王者舘)インタビュー
アイホールでは2月26日(金)~28日(日)に提携公演として、少年王者舘第38回本公演『思い出し未来』を上演いたします。6年ぶりの新作について、作・演出の天野天街さんにお話を伺いました。
■終わりがはじまりを食い尽くす芝居
少年王者舘としては6年ぶりの新作となります。今作は、「ウロボロス」(自分の口で自分の尻尾を飲み込んでしまったことによって環となった蛇の図)のような、はじまりが終わりを、あるいは終わりがはじまりを食い尽くしていく芝居にしたいと思っています。ウロボロスは、パラドックスを語るときによく使われますが、それを演劇にしてみるとどうなるのかという興味が今回の創作の大きな動機です。
少年王者舘の作品は、いわゆる「物語」が存在せず、ひとつのイメージや状態を、ある時間の流れの中で積み重ねたりくっつけたり離れさせたりすることで、「何か」が見えてきたり、消えていったりすることが特徴です。企画書に「往還し、循環し、停滞し、跳躍し、逆転し、逆流する時間」と書いたのですが、これを実際の行為にすると少年王者舘の手法になります。つまり、「往還」は行ったり来たり、どちらに進んでいるかわからなくなる方向性の欠如状態。「循環」は繰り返し。閉じた円環という構造の中でループしながら状態を変えていくこと。今回はここにウロボロスを使ってみたいと思っています。「停滞」は止まった状態。実際に時間を止めることはできませんが、演劇という虚構を通して時間を止めることで、見えない時間のカタチを可視化させたいと思っています。「跳躍」は一瞬だけ隙間ができること。レコードの針飛びのように、ある流れのなかで少しだけ欠落する部分ができることです。「逆転」は言葉通りの意味で、エントロピーの流れが逆転すると「逆流する」に繋がります。こうした手法は今回も取り入れますし、基本的には少年王者舘が今までやってきたことの延長線上にある作品だと思っています。
■演劇と量子力学
もうひとつの試みとして、量子力学で扱われている現象と演劇とを重ねあわせてみたいと考えています。本作は、かいつまんで言うと、「なぜこの世界はあってしまうのか」「私はどこから来てどこへ行くのだろうか」という話です。「宇宙のはじまりはどうなっているんだろう」「終わりはどうだろう」「はじまりの前は、終わりのあとは、どうだろう」という子どもの頃に思う疑問と、先端の物理学者が考えていることは、言語にすると同じことですよね。このはじまりや終わりが明確でないことを、演劇という「はじまって終わる」という“枠”がある表現に、量子力学を使って、意識的に構造として取り入れてみようと考えています。でも、量子力学に関する具体的な説明は劇中に一切出てきません。この学問で扱われる現象そのものや、それらがまだ解明されきっていないことが面白いと思っているので、あくまで「よくわからないもの」を演劇に取り入れるためのひとつのキーとして使います。
■シンプルな構造に還元できる複雑なことを
今回は作品の構造に特化したつくり方にしたいと考えています。いつもは、台本をずるずると書いていく途中に作品全体の構造がみえてきて、そのときに初めて構造をうねらせたり捻じ曲げたりするのですが、今回はまず構造ありきで進めたい。そしていつもより「シンプル」にしたいんです。といっても、(ダンス、映像、音響、照明といった)いろんな表現手法を取り払うのではありません。作品構造をしっかりさせると、結果、シンプルになると思っています。わかりやすさとも違います。だから、構造は複雑怪奇に成長させていきたい。アインシュタインの相対性理論の方程式で「E=mc2」(注1)がありますが、これはすごくシンプルな数式なのに、実はものすごいものを孕んでいますよね。こういうシンプルな式に還元できる複雑なことをしたい。短い時間にいろんなシーンが詰め込まれているのに、紐解くとウロボロスの図のような、すごくシンプルな構造が見えてくるものにしたいと思っています。こうした構造が『思い出し未来』というタイトルにも繋がってきます。例えば、「デジャ・ヴュ」は、体験したことがないのに知っているような感覚のことですよね。そうした感覚を想起させる構造を意識的に構築していきたいんです。演劇の表現方法として「どこからが始まりで、どこまでが終わりなんだ」と思わせる見せ方は多々あると思うのですが、その新しい形を目指したいと思っています。
(注1)エネルギー=質量 ×光速の2乗のこと。質量とエネルギーの等価性とその定量的関係を表した式。ある物体がこの世から消失すると、ものすごい量のエネルギーに変化するという原子爆弾の理論的根拠にもなった。
■「未来を思い出す」ということ
『思い出し未来』というタイトルは、「思い出し笑い」の洒落なんです。これは誰もやったことのない洒落だと自負していたのですが、他の人に言っても全く伝わらなくて(笑)。また、「未来を思い出す」という感覚はどういうことかという疑問をぶつけたものでもあります。僕は何かを表現する時に「言葉で言ったらおしまいだ」という考えを持っているんですが、このタイトルは、わざとわかった気になる言葉を使いました。
僕、本番3日前なのに台本が書けずに追いつめられた状態のとき、「3日後の昼の僕へ。今の僕に向けて、そこにある台本を送ってください」という貼り紙をすることがあるんです。それで未来の自分との約束を絶対に守るんだと思って執筆する。本当に書けたときは、過去の自分に向けて念を送る。オカルトじゃないですよ(笑)。そういう気持ちで書いているんです。でもそのことで、この時間の円環が閉じる。つまり、“未来の思い出”が来るんです(笑)。今作も「私」が、“今”と“過去”“未来”を往還するイメージが強くあります。
■「私」という「意識」と対峙する
ただ、概念としての「私」を描くことを無防備にやってしまうと、すごく縮こまった考えになってしまうと危惧しています。「私」という言葉で説明できてしまう「意識」は、簡単に消せるものではないけれど、それを消す作業をしたい。この意識を上手く利用できないだろうかと思っているんですが、舞台上で、不測の事態をわざと演出してしまうことのあざとさと難しさに似ている。僕は、その延長線上に虚構である演劇が存在しているのではないかと考えています。演劇という表現は、人間というあやふやな生き物がやっているから、毎回同じことを繰り返しているつもりでも、少しずつ違ってくるんです。テキストどおりにやっていても、大きい小さいに関わらずアクシデントが起こるわけです。そのアクシデントすらも、テキストに織り込むというやり方に魅力を感じています。でも、台本として字にすると「意識」になってしまう。だから今は、「意識」を打ち消すために、もう一つの「意識」や「言語」でコーティングしていく作業を進めています。
■少年王者舘だからできること
舞台美術は、廃工場とステーション(駅)が折り重なったようなイメージにすることは決まっているのですが、実は、(初日2週間前で)台本がまだ2ページしか書けていない。こういう掟破りみたいな状態は、少年王者舘でしかできないと思っています。
僕は、自分の中にある新しいモノを表出するとき、「つくり手の無意識」を使ったほうが面白いと思っています。(書きはじめた時点で)考えていなかったアイデアが、締切ギリギリ、もしくは締切を越してしまった極限状態に、ニョロッと出てきたりするんです(笑)。それが面白いんですが、その面白さを待ってくれて、それを芝居に導入することができるのが少年王者舘であり、この集団でしかできないことだと思います。
台本ができていないと役者たちはダンスを創るんですね。1ヶ月まるまるダンスの稽古をしたりするときもあるので、ダンスだけがどんどん先鋭化されていく。少年王者舘をいつもご覧いただいているお客様は、「劇中にダンスがたくさんある」と言ってくださるんですけれども、その理由はこういうことです。
そして、今回、久しぶりの四都市公演です。そこで劇団の創立時期に活動していたメンバーにゲスト出演してもらうことになりました。少年王者舘はもともと、名古屋、東京、大阪の各都市に分かれた人たちを集めて結成した劇団だったので、今回も各都市の公演ごとに、そこに在住しているメンバーが出演することになりました。長年のファンの方々が聞くと、びっくりするような人も出演しますので、ぜひご期待ください。
(2016年1月、大阪市内にて)