AI・HALL自主企画として2016年9月15日(木)~19日(月・祝)に、現代演劇レトロスペクティヴ<特別企画> AI・HALL+生田萬『夜の子供2 やさしいおじさん』の上演を行います。アイホールディレクターの岩崎正裕を司会に、作・演出の生田萬さんと出演のサリngROCKさん(突劇金魚)に、作品についてお話いただきました。
■「現代演劇レトロスペクティヴ」の趣旨
岩崎正裕(以下、岩崎):「現代演劇レトロスペクティヴ」は、今年で7回目になります。この企画は、1960年代以降の時代を画した現代演劇作品と、関西の演出家が出会うという企画です。なぜ、今年は<特別企画>なのかというところですけれど、正直に申しますと、作品はまだまだたくさんあるんですけど、関西の演出家で「レトロスペクティヴ」をやることによって、自分の作品づくりにこれから繋げていこうという人たちは、とりあえず大体やっていただいたかなあという感じがあったのは確かです。それで、いろいろとアイホールの中で議論をしたところ、「戯曲を書いた本家本元の作家に来ていただいて新しい俳優たちと出会うことで、また新しい演劇が生み出されるのではないか」と、そういう可能性で今年はやってみようじゃないかということになりました。そこでお名前が挙がったのが、ここにいらっしゃる生田萬さんです。生田さんは、扇町ミュージアムスクエア(OMS)があった頃、頻繁に来阪された劇団「ブリキの自発団」の代表でもいらっしゃいました。今は、東京杉並区の「座・高円寺」という劇場の劇場創造アカデミーのカリキュラム・ディレクターをやっていらっしゃいます。日々、若者と出会って新しい演劇をつくり続けていらっしゃる生田さんに、ここはぜひお願いして作品をつくってみようということになりました。生田さんにもご快諾いただきまして、この夏の暑いあいだ、アイホールで稽古に励んでいただいているというところです。
リオのオリンピックで世間は非常に盛り上がっておりますが、この作品は、前回1964年の東京オリンピック前夜を描いたお芝居です。なので、その60年代前半の時代と現代を重ね合わせることで、どのような現代社会が浮かび上がってくるか、それもひとつの仕掛けになるのかなと思っています。そして、オーディションで選ばれた若い人たち、まだ経験値の少ない俳優たちに対して、生田さんから毎日叱咤激励が飛んでおります。もう片方には、サリngROCKさんを含め、関西では熟練の俳優さんたちに出ていただきます。若手と中堅、ベテランが一緒にやるという企画は、プロデュース公演でないとなかなか実現しないものですから、今回そういう部分でも生田さんにまとめていただくことで、関西の演劇状況を刺激することに繋がるのではないかと思います。
■今の時代に『夜の子供2』をやること
生田萬(以下、生田):かつてOMS戯曲賞受賞作は、プロデュース公演をするというところまでがセットになっていたんですけど、諸般の事情で取りやめになって、その最後となる公演が樋口ミユさんの『深流波―シンリュウハ―』という作品でした。それの演出をやらないかと言っていただいて、一カ月以上滞在して大阪の演劇人たちと作品をつくった経験があります。岩崎さんが今回の企画で僕の名前を思い出してくださったのも、そのときのことが頭の片隅にあったのかなあと思っています。関西にたったひとりでやってきて完全にアウェーなんですけど、結構、好き放題やらせていただいています(笑)。
自分の昔のことを思い出したりするときに、懐かしさよりもどこか若気の至りにポッと頬を赤らめるような、そんなことが多々あるんじゃないかと思いますけど、今回『夜の子供2』を、と言われたときに頬がポッと赤らみました。ほんと若さの特権を振りかざして馬鹿なことやってたなあと…。正直、読み直してみて、演出してみたい気分はかけらも起きなかった。「好きじゃない」というのが素直な印象でした。でも、チョー苦手な女性に一方的に言い寄られて、「生理的にムリムリ」と拒絶すればするほど、次第に相手に情がうつるなんて経験、よくありますよね(笑)。いや、よくあるかどうかはさておき、今はそんな状態で、たぶん本番のときにはどっぷり捕まっちゃって、もう抜き差しならないところまでこの作品を愛してるんじゃないかなあと思います。
ただ初演が90年なのでずいぶん時間も経っていて、作品をとりまく環境もかなり変わっている。ひとつには芝居のつくられかたの変化。かつては芝居は劇団でつくるのが当たり前でしたが、今は、特に若い演劇人のあいだではユニットを核にしたプロデュース公演が主流です。実は今回、一週間でバタバタと全部のシーンを当たって通し稽古をやりました。僕の経験でもないぐらい無茶なことをやったんですけど、そのときに改めて「これは劇団力を前提とした作品だ」というのを感じました。劇団に蓄積された経験を共有する同志的な結合、とでもいいますか、その前提抜きに今回は作品をつくる。そこに「いま」が現れたらいいなと感じています。あと、座・高円寺で若者と接している中でも思うことですけど、俳優を志す人たちの身体感覚がずいぶん変わったなという感覚があります。“舞台の上で屹立する身体”みたいなイメージというのが、今の若い演劇人には持ちづらいんだなあ、舞台の上の身体の緊張・弛緩を含めたメリハリ、強弱、緩急みたいなものが、この戯曲を書いたときとずいぶん変わってるんだなあ、というのを日々感じているし、今回の稽古を始めても感じていることです。それはどっちがいいとか悪いというのじゃなくて、ある時代性の話だと思うので、今の身体感覚でこの作品がどう出来るかというのをこれから探していこうとしているところです。
この作品は、1964年の東京オリンピックのときのことを、二十世紀最後の年の大晦日に振り返ってマンガに描いている作家のお話です。「さよなら、ニジッセイキ」――「二十世紀」じゃなくて「ニジッセイキ」なんですけど――がメッセージです。じゃあこの作品は「ニジッセイキ」、それは言い換えれば、一体「なに」にさよならを言っているのかということなんですが、これを書いたときと今ではまた全然変わってきているので、それを探せたら、この作品を今やることの意味があるのかなあと思ってます。僕は結構、根がアツ苦しいもので、昭和のアツ苦しさで平成の若者たちに今、ガンガン迫ってます。そのうち化学変化を起こして、「劇団っぽいね、今の感じ」みたいなところまでいけたらいいと思って実験しています。皆さんもご承知のとおり、今、劇団制なるものがどんどん衰退していて、新たに演劇を志す人々から、劇団は重苦しいとかウザいなあとかダサいなあという感じに思われているのが現状だと思うんです。でも劇団の功罪をどこかでちゃんと検討したほうがいいというのもあって、今、その劇団ノリにこだわってつくっているところです。
岩崎:生田さんの稽古って、人間を信じてるな、と僕は思ってます。やっぱり劇団にこだわってらっしゃった世代ですから、「簡単に答えを求めない」という趣旨に基づいて稽古が進んでいて、とてもとても膨大な時間のかかる稽古だなあ、演劇の時間ってすごいなあということを感じています。
■稽古場では…
サリngROCK(以下、サリng):わたしの役柄は、ニジッセイキ最後のマンガを描いているマンガ家の役です。この作品は、台本を読んだときから言葉がすごく詩的でいいな、と思ったのもあるんですけど、今、生田さんが喋っている言葉に対しても、「ああ、そういう語彙を使うんだ」と、一個一個の使われている単語がいいなと思います。劇中で歌ったり踊ったり、演奏したりするシーンがあるんですが、その選曲で生まれる世界観や、生田さんがのせる歌詞のひとつひとつが素敵で…。教室のシーンでも、小学生たちのわちゃわちゃした感じだったり、ふたりの少年がお互いのことを思い合っているけど、そこからそのふたりは次どうしていきたいか本人たちもよくわかっていないみたいな、そういう関係のイメージとか、舞台上に現れるものがすごくわたしの好みで面白いです。経験したはずないけど懐かしいような、思ったことのない感情なのにその甘酸っぱさを感じたことがあるような、そういう感情が呼び覚まされるところに楽しみを持って観られる舞台だと思います。
岩崎:1964年の世界と、マンガ家が存在する時間が往還するという、80年代演劇のひとつの特徴的な形だとも言えると思いますけど、その一方の世界を担ってらっしゃるのがサリngROCKさんということになります。
生田:小劇場は主宰がホンを書いて、演出もやって、下手をすると主演もやっちゃう、みたいな一極集中なつくりかたで、ホンをつくるときも、劇団のメンバーにあて書きするということがままあります。この作品も、サリngさんにやっていただく役は、銀粉蝶という女優にあて書きしたものです。だからといって今回、別に銀粉蝶がやったようにサリngさんにやってほしいとは当然思わなかったし、まず彼女がどういうふうにホンを読んで、どういうふうに演じてくれるかを見て、いろんなことを考えていこうと思ったんです。これからする話は、うちの奥さん(銀粉蝶)には言わないでほしいでんすけど(笑)、サリngさんのやっているのを見て、「ああ、そういうことか!」という新しい発見がたくさんありました。銀粉蝶が絶対にやらない、つまり、僕が想像しなかった役のイメージをどんどんこっちに提出してくれるので、僕にとっては今すごくいい刺激になってます。
この作品は、マンガ家が描いた世界の中の主人公の「ぼく」の前に、ある日、「ぼく」と正反対の「もう一人のぼく」がやってくるというお話です。主人公の「ぼく」は存在感が薄くて、自分は透明人間だと思っているような子なのですが、いきなり現れた転校生が「ぼく」と正反対の、ピッカピカのオーラ出まくりで、何もしないのに人が注目してしまうような子なんです。それを片桐はいりにあて書きしました。今回やるにあたって、どんなに上手な役者さんでも、はいりにあて書きした役を
そのまま再現するのは不可能だろうと。技術ではどうにもならない。そこで、演劇の経験はないけど意欲のある子に、新しい発見、新しい役との出会いをしてもらおう、そっちのほうがこの作品に相応しいんじゃないかと思って、オーディションでほとんど舞台経験のない女の子を選んで、いま想像以上の大苦戦を強いられています(笑)。
これはまったくの余談ですが、今回、改めてホンを読んでみたら、全部僕の実人生にあったことを書いてるんですね(笑)。書いたときは自覚がなかったんですが、親父が“蒸発”したり、いろんな悲惨な事情が重なって、自分は逃亡者だと思いながら小学校時代の大半を過ごしてたんですけども、そういう僕の前にある日、僕と同姓の転校生がやってきて、僕と正反対でいきなりクラスの人気者になっちゃったんです。まあ、そんなもろもろのエピソードがびっしり入ってるので、びっくりしちゃいました(笑)。
岩崎:生田さんの稽古は、最初に台詞が全部入った状態から始めようよ、ということになっていて、サリngさんも膨大な台詞を、すでに全部覚えているんです。
サリng:もう、めっちゃ不安でした(笑)。
岩崎:台詞覚えのためのワークショップというのを受けてもらって稽古に臨んでいるので、実は今、誰も台本を持っていないという恐ろしい状況です。
生田:それは、ぜひ大阪の若い演劇人に、「こういうふうにやるといいよね」と思ってほしくて。稽古初日に台詞が完璧に入っているというのは、一番理想じゃないですか。でもなかなかそういかないことの原因のひとつに、「作・演出」というのもあるのかなと思います。とりわけ僕なんか台本が遅いものですから、この作品を書いた時もめちゃくちゃ遅くて、まだホンが全部書き上がってないのに稽古始まっちゃったーなんていう状態で、俳優に「なんだお前、台詞入ってないのか!」なんて言えないんですよね(笑)。だから僕はやっぱり、作家と演出家と俳優が対等な三角形で向き合って現場を維持するのが、演劇にとって一番健康的だと思うんですけど、さっき言った歪な一極集中の温床に劇団がなってしまうところがあった。でも、それは劇団制に問題があったんじゃなくて、作家が演出家も兼ねる「作・演出」というシステムの弊害なんです。とにかく、台詞も入っていない状態では、演出家は何にも出来ないんだっていうことを、ぜひ若い演劇人に知ってほしいです。で、俳優が台詞入れてきたはいいけど、自分ひとりで勝手に色付けて感情乗っけて意味も見つけて覚えちゃうと、稽古場で邪魔になるんですよね。なのでニュートラルな状態で台詞を覚えるメソッドを、高円寺の「劇場創造アカデミー」では教えてまして、だから、この方法を知ってほしいというのもあって、宣伝になっちゃいましたけど(笑)、そういうワークショップを何回かやって、今回の稽古が始まったという感じです。
岩崎:ちなみに僕も今回は特別出演させていただきます。たぶん台詞は十個にも満たないと思いますが(笑)、医師の役です。で、同じく特別出演で、高橋恵さん(虚空旅団)が看護婦の役です。そして蟷螂襲さん(PM/飛ぶ教室)が、池で亡くなった少女の父親の役です。
生田:岩崎さんや高橋さん、蟷螂さんやサリngさんといった、関西の最前線で活躍されてる演劇人が参加してくださるので、その意味でもぜひ興味を持ってくださるお客さんがいっぱいいたらいいなあと思っております。
■質疑応答
Q.この戯曲をやろうと決めたのはアイホールですか? この作品を上演しようと思ったのはどういう意図からですか?
岩崎:ご提案をさせていただいたのはアイホールです。単純に言えば、東京オリンピックのことで日本がこれからどんどん沸き返っていくというのがあります。その時代性において、現在とこのホンが二重写しになるような世界観が築けるんじゃないかなと。そういうことをアイホール館長が東京まで乗り込んで、生田さんと長い長い時間話して、それでこのホンに決まったという経緯があります。
生田:僕はこの現代演劇レトロスペクティヴの企画はずっと知っていたので、演出の仕事をオファーいただいたのかなと思って「とても光栄です」と言ったんですけど、僕のホンをやりませんかと言われたので、「いや、やめましょうよ、それは」とかなり抵抗したんです。けれども、さっきの「東京オリンピック」という一言で「ああ、そうかもしれない」と、つい煙に巻かれて引き受けてしまいました(笑)。でも、何だったんでしょうね二十世紀って。日本人は西暦で区切るよりも元号で区切ったほうがいいと言う人もいるし、そうすると日本人にとっての二十世紀は、大正・昭和ということになるのかもしれない。「さよなら、ニジッセイキ」の「ニジッセイキ」には、「さよなら、昭和」というメッセージに近いものがあると思います。「追いつけ追い越せ」って日本人の一番得意なパターンだと思うんですけど、それのひとつのピーク、象徴が東京オリンピックだったような気がしています。追いついちゃったらどうしていいかわかんない、というのが今だとしたら、その「追いつけ追い越せ」の象徴としての東京オリンピックを取り上げた作品を今やることで、これから四年後の東京オリンピックとは何だろうということを当然考えることになるだろうし、何かが見えてくる気がします。
岩崎:俳優たちと一緒に考えようというふうに稽古を進められている印象がありますね。
生田:大変ですよ、何言ってもポカーンとして。彼らが全然知らないことばかりですからね。だから、おじいちゃんが孫に話してるみたいになっちゃう(笑)。でも、「そうかそうか、昔はな…」というのは絶対しない。「おまえ、こんなことも知らないのか!」って態度で攻めてます。東京オリンピック自体、リアルタイムで経験してるのは僕くらいしかいないんですけど、でもリオ・オリンピックも、微妙にこの現場に反映してくるのを感じています。東京にいると、「オリンピックなんてどうしてやるの?」みたいな空気を感じることが多いんですけど、毎日メダルに沸き立っている今回のリオの様子だと、次の東京オリンピックに対する期待感も結構膨らんじゃうんじゃないかなと思います。
Q.サリngROCKさんがオーディションを受けた理由をお教えいただけますか。
サリng:「こんなオーディションがあるので受けませんか」とアイホール館長から教えてもらったのもあるんですけど、ひとつは、生田さんの演出に興味があったからです。関西にいながら東京の演出家の演出を受ける機会もあんまりないですし、わたしは普段あまり俳優をやってないものですから、他の方が演出してる現場を見ることもほとんどないので、いい機会だと思いました。生田さんの演出は、すごく腑に落ちます。さっき岩崎さんも仰ってましたけど、とても人間を信じてる。ついつい、「とりあえず一旦、これがわかればいいかな」みたいなことを、普通だったら言っちゃうような気がしてしまうんですけど、そこはもう「一旦」にせず、「何で出来ないんだ!」「来い!」みたいな(笑)。手をまず差し伸べないんです。差し伸べるほうが簡単そうなのに、そうしないのがすごいなって思います。
Q.作品の改訂はありますか?
生田:ほとんど変えないつもりなんですけど、ラストシーンだけ、どう考えてもこれじゃ終われないので直しました。この作品、本当に書けなかったんですよ。そのしわ寄せがラストに来てるなあ、と。当時、『しんげき』(白水社)という雑誌がありまして、そこにこの作品を掲載していただけるということになっていて、その締切があったというのもあるんですが(笑)、とにかく終わらせなきゃいけないという、その勢いだけで書いてしまった部分があります。いつも劇団では、最初の部分だけ書いて、稽古しながら次のシーンを考えてきて…というやり方になっていたので、前半ではこれ以上もう入らないというくらい大風呂敷を広げて、後半に入るとそれを全部拾い集めるということになってくるわけです。でもこの時はもう集めきれなくて、力技で終わらせようというふうになっていたので、そこは今、もう少し客観的にコンテクストや全体の流れを見られますから、「この作品にもっと相応しい終わり方があるよ」と90年代の僕に言おうと思っています。
僕がホンを書くときの理想は、自分の言葉をひとつも入れないで書くことです。たとえば、「え? あ、はい」という台詞があったとしても、この「え?」は誰々の本の「え?」で、この「あ、」は誰々の…というように、全部引用のセレクションとコンビネーションで一本の作品をつくれたらいいなあと思っているんです。だから今回の作品も読んでみると、他人の言葉のコラージュだし。欧米なんかだと、「二十世紀は演出家の時代だ」なんて言い方がありましたよね。日本の土壌ではあまりピンと来ないかもしれないけど、「演出家の時代」ということを僕なりに解釈すれば、「あらゆることはすでに表現されつくしている。今や表現者の為すべきことは、すでにあるものの中から何を選んでどう組み合わせるか、そのセレクションとコンビネーションこそ二十世紀の<創造>だ」という意味かなあと思っています。このホンはほんとにそうやって書いたので、「ニジッセイキ」に「さよなら」したら、どこに行ってしまうんだろうというのも、二十一世紀的なクリエイションとして、この公演の宿題ですね。