アイホールでは1月16日(金)〜19日(月)に共催公演として青年団第73回公演『暗愚小傳(あんぐしょうでん)』を上演いたします。本作は、文学者の戦争協力の問題を題材に、詩人・高村光太郎とその妻・智恵子の生活を緻密に描き、2014年10月に吉祥寺シアターで行われた東京公演でも好評を博しました。10年ぶりの再演となる本作について、青年団の主宰であり、劇作家・演出家の平田オリザさんにお話を伺いました。
■『暗愚小傳』について
青年団が関西で『暗愚小傳』を上演するのは今回が初めてで、毎年公演させていただいているアイホールでできることを、非常に楽しみにしています。本作は、僕が書いた3本目の戯曲であり、青年団がまだ学生劇団だった頃の1984年に初演されました。1991年には、この作品を今の劇団のスタイルに即した形に書き変え、その後、再演を三回繰り返し、今では劇団の代表作となっています。
『暗愚小傳』は、高村光太郎が戦後に書いた自叙伝的詩集『典型』(1950年)の中に収録されている連作の題名です。この作品では、高村の生涯と、戦争詩人としての姿を描いています。今まで僕が書いた戯曲の中で評伝劇はほとんどなく、実在の人物の一生を描いたものは本作だけです。
また、僕の祖父は医者を務めながら詩を書いており、伝統ある現代詩の同人誌『歴程』の、戦前最後の編集人でした。彼は宮沢賢治や中原中也などの才能ある詩人を発見し、彼らのパトロンもしていました。しかし一方で、戦争の激化と共に高村をはじめとする多くの詩人が戦争詩を書き始め、『歴程』が右傾化していった中心には、戦争詩人である祖父の存在があったのです。本作の中では祖父をモデルとした人物も描いており、個人的にも非常に思い入れのある作品になっています。
■戦争詩を詠み始めた詩人の人生
僕が彼の作品に出会ったのは、自転車で世界一周をしていた16歳の時です。パリにいた頃、父が高村光太郎の『雨にうたるるカテドラル』という詩を僕に送ってきてくれました。これは日本人が大聖堂(=カテドラル)を目にして、日本にはない西洋文明の巨大さ、圧倒的な強さのようなものを前にひとり佇む姿が詠まれており、当時、十代の自分がパリで味わった感覚と同じものを感じました。
高村は晩年に詩集『典型』で第二回読売文学賞を受賞しました。彼はまさに、この詩集の題名と同じく、“典型的”な日本人の生き方をした人でした。彫刻家・高村光雲の厳しい家庭環境の中で芸術家になるよう育てられ、14歳の時に東京美術学校(現在の東京芸術大学美術部)に入学。その後、日本人の中では非常に早い段階で留学を経験します。そしてヨーロッパの美術が持つ圧倒的な力、東洋と西洋の格差に打ちのめされて帰国。しばらくは日本を嫌ってデカダンスな生活を送っていましたが、智恵子と出会って自分の人生を取り戻し、ちゃんとした創作活動を始めたり、大学での教鞭を取るようになりました。しかしその矢先、智恵子が精神的な病によって亡くなってしまい、その後、彼は戦争詩を詠むようになったのです。
僕も高村と同じく若くに作家デビューしたので、戦争に加担して詩を詠んだ彼の状況がわからなくもない。また、先程申し上げた通り、戦争詩人だった祖父と気質が同じなのではないかという感覚があり、おっちょこちょいな自分の性格もあるので、自分も高村や祖父と同じように、そういった方向に傾倒してしまうかもしれないという不安を若い頃は常に持っていました。
なぜ、インテリだった高村が、誰に強要されたわけでもないのに自ら戦争詩を詠み始めたのか。このことは、本作を執筆した21歳の頃から考えていたことでもあり、作品全体を語る上で欠かせない部分となっています。
■高村光太郎の変遷を辿る四つの時代
僕の作品のほとんどは一幕ものなのですが、本作は四場構成になっています。戦争の部分は描かず、四つの日常的なシーンを時系列で構成しています。高村光太郎が妻・智恵子と新婚生活をスタートさせ、芸術家としての仕事が充実し始めた1910年代。智恵子が精神病を患い始めた1920年代。智恵子が病で亡くなった1930年代後半。そして高村が戦争の詩を詠み始めた1940年代です。
多くの評論家も言っているように、彼の人生と戦争の時代は複雑に連動しています。智恵子が精神的に病んだのは、実家が倒産するなどいろんな理由があるんですが、その一つに軍国主義の風潮が彼女の心を苛んでいたことも含まれていました。しかし、高村は智恵子の死後、軍国主義の詩を詠むようになります。
高村は1941年に『智恵子抄』を発表し、文筆家として有名になりました。しかし、その当時に詠まれた詩は、明らかに常軌を逸した興奮状態で書かれている。僕は、彼が智恵子の死の寂しさを埋めるために詩の創作にのめり込んでいったと思うのです。本作では、彼のそういった変遷が描かれています。
■配役・登場人物について
高村光太郎役は1991年の上演からずっと山内健司が演じています。智恵子役は能島瑞穂が、永井荷風役は永井秀樹が演じます。高村と同時期にアメリカ・フランスに滞在した永井荷風は、戦争に対して高村とは全く異なる対処をした人物であり、本作ではそういった姿も描いています。
伊藤毅演じる宮沢賢治は、生前に高村の家を訪れていたという記録が残っており、第二次世界大戦が始まる五年程前に亡くなっています。しかし、「宮沢賢治が戦時中に生きていたら戦争の詩を詠んでいたか」というのは、僕が作品を描く上で大きなテーマでもあり、本作の伏線として語られています。
■最後に
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、僕が二年前に書いた小説『幕が上がる』が映画化されることになりました(2014年2月28日公開予定)。アイドルグループ「ももいろクローバーZ」が主演を務めることになったので、僕の人生で、いま、最も本が売れています(笑)。映画は静岡で撮影されていまして、SPAC(静岡県舞台芸術センター)が全面協力しています。舞台で活躍する俳優が随所に出演してまして、演劇ファンとしてもたまらない作品になっていると思いますので、ぜひご覧ください。
■質疑応答
Q.なぜ、今この作品を再演するんですか?
A.青年団ではだいたい十年周期でいくつかの代表作を再演しており、上演演目は三年前から決めています。よく「集団的自衛権や秘密保護法の問題が取り上げられるようになったから再演をしたんですか」と聞かれる方もいらっしゃいますが、そういったこととはあまり関係がありません。逆に、二、三十年前にこういう作品が書かれていたことに驚かれる方もいらっしゃいました。
本作は劇団の代表作である『ソウル市民』(1989年)と同様、上演を始めた当時、作品の政治性が批評されることはほとんどありませんでしたが、今は政治的な意味を持って捉えられるようになりました。現実に戦争がきな臭い雰囲気になってきたことによって、幸か不幸か、作品がお客さんにストレートに受け入れられるようになったのです。
Q.なぜ、高村光太郎は戦争詩を書いたにも関わらず、戦後の日本で有名になることができたのでしょうか。
A.人によって解釈が様々なのですが、戦後、彼が花巻に蟄居して反省の日々を過ごしたということを評価した人は多いと思います。社会的地位からしても、他の文壇の人のように早くに復帰できたにも関わらず、花巻の高村山荘で一人きりで自炊生活をし、詩集『典型』を出すまでに、長い謹慎の期間を設けた彼の生き方は、戦後の処し方としてよかったのではないかと思います。
一方で、高村光太郎が書いた戦争詩は、全集以外にほとんど入っておらず、彼が戦争に加担した詩を詠んでいたことを知る人は少ない。そういった真実が隠されていることの方が僕は問題だと思っています。
(2014年12月 大阪市内にて)
【共催公演】
青年団 第73回公演
『暗愚小傳』
作・演出:平田オリザ
2015年年1月16日(金)19:30★
1月17日(土)14:00 / 18:00
1月18日(日)14:00
1月19日(月)14:00
公演の詳細は、こちらをご覧下さい。 → こちら |