インタビュー

 アイホールでは、空の驛舎『追伸』(第20回OMS戯曲賞大賞受賞作)と、極東退屈道場『タイムズ』(同賞特別賞受賞作)を二週にわたり連続上演いたします。『追伸』演出の空ノ驛舎さん、そして『タイムズ』作者の林慎一郎さんと演出の佐藤信さんにお話を伺いました。


■再演の経緯

空ノ驛舎(以下、空ノ): 『追伸』が第20回OMS戯曲賞の大賞をいただいたとき、再演するならアイホールでと劇団内で話していました。初演(2012年3月)がアイホールだったことが大きな理由です。
林慎一郎(以下、林):『タイムズ』は、第20回OMS戯曲賞で特別賞という、普段はない枠組みで賞をいただきました。今回、同じく初演がアイホールだった大賞作と同時期に再演できるという後押しもあって上演に踏み切りました。極東退屈道場では、いつもは僕が演出をするのですが、今回は演出に佐藤信さんをお迎えして、座・高円寺(4月17日〜19日)とアイホール(4月24日〜26日)で再演します。
空ノ:『タイムズ』も初演(2012年10月)がアイホールです。そして、『追伸』作者の中村賢司さんと、『タイムズ』作者の林慎一郎さんは、アイホール主催の「伊丹想流私塾」出身で、師範を務めたこともあり、アイホールで経験を積んできたという共通点もあります。再演にあたり、劇場と相談しまして、今回、二週間にわたり、大賞・特別賞受賞作品を連続上演することになりました。

■“場所”から想起された『追伸』

空ノ:中村は、日記を書くように戯曲を書いているのですが、本作『追伸』を書くきっかけになったことが二つありました。ひとつは、彼が毎日通る空の驛舎 道端に、花が手向けられている場所があって、通るたびにその花が新しくなっていたそうです。そこは花を手向ける誰かが、かけがえのない誰かに対して思いを馳せている場所なのだろうと思ったそうです。そこで、構想として、誰かにとって特別な“場所”であることにこだわった作品をつくろうと思ったそうです。もうひとつは、身近な3人の知人が亡くなったことです。3人とは、バイク事故で亡くなった演劇の先輩、元劇団員、病気で亡くなった職場の人で、この人たちと最後に交わした言葉が、たわいもない日常会話だったり、どうにもならないくだらない話だったりしたことがずっと気になっていたそうです。伝えられなかったことや、もっとちゃんと話をしていたらよかったという思いと、事故現場の花のことが重なって、筆を動かし始めたそうです。
 当時、作者はスランプの時期で長編戯曲が書けずにいたのですが、この作品を書くにあたり、プロットやストーリーに頼るのではなく、逝ってしまった人たちに思いを馳せながら、時間や空間を紡いでいく作品にしようと、三話の短編による構成になりました。

■“新しい文体”と出会うために

空ノ:『追伸』は、中村がOMS戯曲賞10回目の候補でいただいた大賞作品です。大賞をとる作品というのは、戯曲の技術やスキル云々も関係あるかと思いますが、何より“新しい文体”であることが必要だと思っていました。では、『追伸』が新しい文体なのかと聞かれると、正直まだわかりません。初演は作品を成立させることに必死で、そこまで考える余裕はありませんでした。だから、再演の演出では、『追伸』の何が評価されたのかを考える機会にしようと思っています。今回、演出の取っ掛かりにしたのは、チラシの裏面に掲載している松田正隆さんの選評で、この作品には「風景としての人間が描かれている。人間の背景として風景が配置されているのではなく、人間と校庭や公園が一緒に同居している」、「三つの場所の三つの場面に、台詞が発話されることによって人間が立ち現れる」、「台詞が交わされることで人が出現する」という言葉をいただきました。これらを手がかりに、空間に言葉を置いたときに演劇の場所や時間がどのように立ち上がってくるのかを試みる演出方法をとりたいと思いました。
『追伸』初演  私は、演劇行為というのは、学術的な人間探求の一面があると思っています。 “人間が存在する”とはどういうことなのか、どういう佇まいでいることが「生」なのか。そして“人間が死ぬ”とはどういうことなのか。そういった人間の存在や死といった根源的なところを、わかりやすいストーリーで理解するのではなく、別のかたちで表現していきたい。少し哲学的ではありますが、例えば、舞台上にゴロンと転がっている役者がいるとして、その消そうとしても消しようがない人間としての「存在」を表現することができれば、それがひとつの舞台芸術になるのではないかと考えています。
 初演では、物語を成立させることがメインでしたが、再演では、成立させたものを解体させて、もう一度、台詞を舞台上に置いてみる、人が佇んでみるというところから始めます。そしてこの『追伸』という作品が、新しい文体、新しい演劇であることを、創造している側にも観客側にも提示することができれば、再演に相応しいのではないかと思っています。

■さまざまな“時間”を描いた『タイムズ』

極東退屈道場 林:僕は近年、都市の風景や都市で暮らす人の言葉をコラージュする方法で作品づくりをしています。実は物語を構築するのが得意ではないというのもありますが、世界を戯曲でどう掴みとろうかと考えたとき、ひとつの物語だけで掴み取るのではなく、たくさんの断片を重層的にコラージュする方法をとろうと、あるとき決めまして、そこから自分の戯曲の書き方を変えました。その転機となったのが、『サブウェイ』(第18回OMS戯曲賞大賞作)という地下鉄に乗り込む乗客たちのモノローグをコラージュした作品です。『タイムズ』は『サブウェイ』の次に書いた作品で、都市の定点観測をモチーフに、都市に点在するコインパーキングから着想しました。まず、日本で一番値段の高いコインパーキングを調べたところ、ちょうど大阪ドームの近くに25分1,000円のところがありました。そこで、2011年、毎年KinKi Kidsのコンサートが行われる12月25日に、朝からそこに張り付いて、 丸一日“取材”を行ったんです。開演が近づくにつれてどんどん駐車場がうまっていきます。ナンバープレートを見ると、高知、静岡、福岡、三重など。遠方から来た人が、どこに止めていいのかわからずに駐車していくんです。終演後にインタビューしましたが、停めた人は駐車場代すら把握しておらず、チケット代より高くなっていることに気付いていないわけです。
 この取材を通して気づいたのは、都市で暮らしていると、待機する時間がものすごく多い。それに対して金銭的な価値が発生しているということです。都市で暮らす私たちは、待ち時間を何かに交換しながら暮らしているのではないかという仮説を立てました。そして、待ち時間と、それを交換しあう様子をドキュメンタリー的な手法をとりながら、思いっきり遊べないだろうかと書き始めたのが『タイムズ』です。そして、「6時間100円のゲームをし続ける男」の時間のなかに、馬にのって時間を旅する4人の女性たち−作品上では未確認生物を意味する「UMA(ユーエムエー)」、ローマ字読みで「うま」−を登場させ、その人たちが、様々な時間(=タイムズ)を渡り歩くというスタイルで書きました。

■佐藤信さんからのラブコール

林慎一郎 林:2011年11月の初演のあと、この作品はもっと深めて遊ぶことができたのはないかと、もやっとした気持ちがあって、もう一度じっくり考えてみたいと思っていました。今回、幸運にもその機会を得たのですが、僕自身、改めてこの作品をどう立ち上げるのがよいのか悩み出したときに、信さんがこの作品を演出してみたいとおっしゃっていると小耳に挟みました。ちょっと信じられなくて、座・高円寺のプログラム説明会で東京に行ったときに、真意を確かめようとしたんです。そうしたら、信さんのほうから「演出したいんだよ」と言ってくださって…。そのときからワクワクしてたまりません。まさかこういった形で、この作品の可能性を深める機会がめぐってくるとは…と感動しています。
 実はOMS戯曲賞の選評会のとき、信さんが「今の日本で、この作品を演出できる人間は、書いた本人を含めて一人もいない」とおっしゃっていたんです。その上で自ら演出を引き受けてくださいました。『タイムズ』は、そういう意味でもすごく幸せな作品だと思いますし、これから一体何が生まれるのか、今から期待で胸が高鳴って仕方がありません。

■『タイムズ』が語る“希望”

佐藤信(以下、佐藤):第20回OMS戯曲賞は、最終候補作のレベルが高くて、20年間やっていて記憶に残る選考会のひとつでした。選考委員はそれぞれ強い個性を持っていまして、それぞれ違う推薦作があったのですが、相手の推薦作もいいなと思えた、非常に充実した選考会でした。20年というと僕の演劇人生の半分近くを、大阪の若い劇作家の作品を読んできたことになります。そのなかで、たまたま魔がさしたと言いますか、自分でもよくわからないきっかけで、この作品を演出したいという衝動に駆られました。そして、とんとん拍子で話が進み、今回の機会を得られたことを、僕自身もとても嬉しく思っています。
佐藤信  今、林君の話を聞いていて思い出したのですが、昔、僕も千田是也さんから「マコトは物語が書けないからなあ」と言われたんですよ(笑)。僕は1970年に大阪に初めて来て、そのあとも、「京都の紅テント、大阪の黒テント」と言われるぐらい大阪では動員力を持っていましたが、ずっと「わからない」と言われ続けたんですよね。それでも50年間ぐらい活動は続けることができた。だから今でも、若い劇作家に「“わからない”と言われても50年間は芝居ができる。“わかった”と言われる芝居は、『わかった、面白かった』で終わって、すぐに忘れられちゃうぞ」と言っています(笑)。
 そんな“わからない”と言われる作品のひとつが『タイムズ』だと思うのですが、この作品の“わからなさ”は、すごく独特です。僕がこの作品に惹かれるのは、実は希望を語った作品ではないかと感じるからです。今、世の中が非常に良くないので、お芝居もその問題意識に燃えて「今の世の中は良くない!」と訴える作品が多い。そんななかでこの作品は、あっけらかんとくだらないことばかりをやっていて、マイナスカードを全部寄せ集めると最後はプラスになるぞ、みたいな、すごく無謀な主張をしている気がします。どうして日本一高いコインパーキングが希望の象徴なのか、僕も不可思議な感じはありますが、この“マイナスカードを重ねていって、最後にそれを全部ひっくり返す”ということ、今がどん詰まりにいるならば、明日にものすごい大転換が待っている可能性があるわけで、みんなそのことに早く気付かないといけないし、従来の慣習に囚われながら世の中に対峙している場合ではないんです。そんなわけで、その希望を語ることを真剣に取り組んでみたいと思っております。初めての役者さんたちが多いので、どうやって彼らを魅力的に見せようか、僕も楽しみにしております。

■『タイムズ』の演出について

『タイムズ』初演 撮影:石川隆三 林:今回も原和代さんに振付をお願いしました。原さんとは『サブウェイ』の初演から一緒に作業をしています。振付といっても、芝居をする俳優の所作を確認したり、戯曲の言葉から想起される身体の動きをつくったりすることが主です。だから、極東退屈道場では、演出家の意向に沿って振付家がダンスシーンを創るのではなく、原さんと僕が共同で演出するような体制で作品づくりをしています。信さんに、今回の演出方針として振付をどう扱うか相談したところ、「極東退屈道場が原さんといつもやっている作業を今回もしたい」とおっしゃってくださったので、この座組になりました。
佐藤:ミュージカルのような明確なダンスシーンがあるわけではありません。でもある意味、全体がダンス作品、もしくはすべてが台詞つきのダンスシーンと言えるかもしれません。
 台本は、稽古のなかで少し削ったり足したりするかもしれませんが、基本的には書き換えません。僕自身、他人の台本を演出するとき、台詞に手を加えませんが、ト書きは消すことが多いです。というのも、作家は頭のなかで舞台を思い浮かべながら書いているので、ト書きが変に強調されていたり、書ききれていなかったりすることが多いからです。だから、演出するとき、僕はいったんト書きを消して読み直すようにしていて、台詞として書かれている言葉だけを純粋テキストとして扱うようにしています。もちろん、ト書きをまったく無視するのではなく参考にはしていますが。これはもともと日本語で書かれた先輩の作品をやるときも、ヨーロッパの作品をやるときも同じです。
 関西の劇作家の戯曲を演出するのは、シアターコクーンで蜷川幸雄さんと演出を競演した『零れる果実』(作:鈴江俊郎、狩場直史)<※注1>以来です。
林:OMS戯曲賞選考委員の信さんに僕の戯曲を演出いただくことになり、OMSプロデュース<※注2>再びといった感じもしています。
佐藤:既に上演された作品を新たに演出するのは、試験を受けるような感じがして、実は僕のほうが緊張していますよ。


※注1…第2回シアターコクーン戯曲賞受賞作『零れる果実』(1996年)を、Bunkamuraシアターコクーンにて、佐藤信と蜷川幸雄のWバーションの演出で上演した企画。

※注2…扇町ミュージアムスクエアのプロデュースによって、OMS戯曲賞受賞作品を新たな演出家と俳優で上演する劇場主催企画。第1回(1995年)〜第7回(2002年)まで7本の作品が上演された。演出には、竹内銃一郎、北村想、生田萬といった選考委員が起用されることも多く、東西問わず、新人からベテランまでの俳優やスタッフが集結した舞台は、毎回話題を呼んだ。

(2015年3月)

 



【共催公演】
空の驛舎
『追伸』

作・演出:空ノ驛舎

2015年年4月17日(金)19:30
18日(土)14:00
18:00
19日(日)11:00
15:00

公演の詳細は、こちらをご覧下さい。
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【共催公演】
極東退屈道場
『タイムズ』

作:林慎一郎 演出・美術:佐藤信

2015年年4月24日(金)19:30
25日(土)14:00
18:00
26日(日)14:00

公演の詳細は、こちらをご覧下さい。
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