アイホール・アーカイブス
竹内銃一郎×土橋淳志(A級MissingLink)インタビュー
アイホールでは7月15日(金)~18日(月・祝)に提携公演として、A級MissingLink第23回公演『或いは魂の止まり木』を上演いたします。第21回OMS戯曲賞大賞を受賞し、3年ぶりの再演となる本作について、作者の土橋淳志さんと、演出の竹内銃一郎さんにお話を伺いました。
■竹内演出での再演について
土橋淳志(以下、土橋):『或いは魂の止まり木』は、第21回OMS戯曲賞で大賞をいただいた作品です。OMS戯曲賞は、受賞の翌年度に再演する場合、上演支援金をいただけるので、ぜひ再演したいということになったんですが、3年前に僕の演出で初演したので、今回は違う演出家の方をお招きしたいなと思っていました。
A級MissingLinkは、2012年度にアイホールの自主企画「現代演劇レトロスペクティヴ」で竹内銃一郎・作『悲惨な戦争』を、また2014年度には「リスペクト・フォー・マスターズ」という企画で竹内さんに新作『Moon guitar』を書き下ろしていただいたりと、竹内銃一郎戯曲を二度も上演させていただきました。公演のたびに足を運んでくださって、いろんなアドバイスもいただき、腑に落ちることがとても多かったので、竹内さんがA級MissingLinkの演出をされたらどんなことになるのかと興味が湧き、劇団内でも「ダメもとでお願いしてみないか」という話になりました。それでお願いしたところ、引き受けてくださったので、とてもうれしかったです。
竹内銃一郎(以下、竹内):土橋君の演出はかなりハイレベルなものだと思っています。彼自身、あるいは俳優たちから聞いているのですが、台本の上がりが遅くて、なおかつ劇団員はみんな昼間働いているので、一日2~3時間しか稽古ができない。それにも関わらず、こういうすばらしい芝居ができるというのは、「相当、すごいぞ」と思っていたんですね。僕が彼らを演出するのは初めてだし、今回は2ヵ月ほど期間をとって、160時間くらいの稽古時間を目処にやっているんですけれども、実際はそんなに必要なかったかなとも思いました。いま現在、すでに舞台に上げて恥ずかしくない作品になっているし、演出をやってよかったなと思ってますね。
■“考えがいのある”戯曲
土橋:これはホントによくないことなんですけど、初演は執筆が難航し、同時並行で演出を考えないといけない状態で作品を立ち上げていったんですが、こうして一旦時間を置いて、竹内さんに演出を預けたことで、今回あらためて自分の戯曲を見直すことができました。劇作家としては、竹内さんに思う存分にやっていただきたいと思っているので、演出に関して「こうしてほしい」「ああしてほしい」といった希望はないですね。まあ、そんなことを考える余地がないくらい現在進行形で面白い作品になっていっているんですけど。
竹内:土橋君が演出した初演については「おもしろかった」以外の記憶がないです。これは彼にも話したんですが、率直に言うと、戯曲よりも実際の上演のほうがずっといい。でき上がった芝居と比べたら、台本のレベルが低く見えてしまう。劇作と演出を兼ねている人の舞台は「台本はいいのに、演出が足を引っ張っているんだよな」ということがほとんどなんですよね。そういった中で、土橋君のようなタイプは珍しいと思います。とはいえ、 稽古に入るにあたって、僕が「こうしたほうがいいんじゃないの」と思ったところは少し書き直してもらったりしました。
けれど、実際に稽古をやってみると、この戯曲は劇団の俳優への当て書きがされていて、台詞で全てを語らなくても俳優の身体が「書かれていない部分」を表現してくれる、そういう前提で書かれているな、と思ったんです。文学的読み物としては、少し物足りない部分があるんだけれども、演出をしてみると、やりがいというか“考えがい”がある。言葉で足りない部分をどうしたらいいのかをいろいろ考えれば、かなりいい形で答えが出てくるように書かれている気がするんです。説明的な言葉で書かれていないからこそ、いい戯曲なのだと思いましたね。
土橋:「読み物として弱い」ということは僕自身も感じていました。これがOMS戯曲賞の大賞に選ばれた時、正直「何故この作品なのかな」とも思ったんですけど、竹内さんがおっしゃったようなことを、選考委員の方々がいい意味で汲み取ってくださったのかな、と解釈しています。
■戯曲の可能性を広げる演出
土橋:テキストの可能性を広げてくださるところが、竹内さんのすごいところですね。劇作家としての喜びというのは、こういうことなんだなと、稽古場にいながら感じています。例えば、僕たちは、ついつい小市民的な振る舞いを台詞のやりとりとして書いてしまったり、それを無自覚に演じてしまうことがあると思うんです。けれど、竹内さんは、そういう安心や納得をともなう振る舞いを良しとせず、「そんなところに留まっていたらおもしろくないよ。もっと危ない方向へ。もっとあらゆる方向に行け!」と俳優の背中を押すんです。そうするとちょっとした行為でも、どのやり方を選択するかでいろいろ変わってくる。戯曲の可能性がどんどん広がっていく気がしますね。
竹内:さっきの稽古でも「どっちか選べと言われたら、勇気が要るほうを選べ」と言ったんですが、いつも俳優には、昨日と違う芝居をしてほしいと話していますね。
僕の演出は、初演と比べて違いがいっぱいあると思いますが、いちばん大きいのは、みんなが“立って”芝居をしているシーンが多いところですね。室内で椅子があれば座ってしゃべるほうが自然だろうけど、僕は日常生活の写し絵を舞台に上げようとしているわけではないから、敢えて座っている人間を立たせる、あるいは立った状態で少し距離を取ってやりとりさせることで、芝居全体をダイナミックに見せるんですね。俳優にとっては座っているよりも立っているほうが、重心が上にあるので芝居が難しい。芝居によりアクションをつけたいと考えた時には、こういう演出をすることが多いです。
■出演者について
竹内: 16年も活動を続けてきた劇団のよさというのは、劇団員みんなが共通項を持っていること。誰かに対して言ったことが、他の人にも理解されているから、演出も言葉の数が少なくて済んでいるし、予定よりも早く稽古が進行している。僕の感覚で言えば、「いい感じで言葉が通っている」という充実感はありますね。
土橋:稽古を見ていて、自分が面白いと感じることと、竹内さんが面白いと思っていることは、そんなにかけ離れていない気がするんです。例えば俳優の立ち位置や距離感、小道具の受け渡しを大切にするとか。これまで自分たちとしても、そういうことを大切にして芝居を作ってきたつもりなんですけど、竹内さんの演出は、方向性は近いはずなのに、自分の演出と比べて、俳優への伝わり方がまったく違う感じがします。悔しいですけど(笑)。
竹内:まぁ、俺も30年以上やっているからね(笑)。最初の頃は演出をやりたいなんて思ってなかったんだけどなぁ・・・。芝居の良し悪しの8~9割はだいたい演出家次第でしょう。だから、なんか責任が重いなぁと思って。劇作家は書いて渡して、つまんなかったら「つまんねぇなぁ」って思えばいいし、おもしろければ「やっぱりホンがいいからだよな」って思えばいいから、楽なんですよ、やっぱり(笑)。
土橋:日々の稽古の中で、少しでも竹内さんの手法や方法論を盗むことができればと思っています。ただ、そういった単なる理屈ではないところ、竹内さんのパーソナリティーみたいなものは、とても真似できないですね。稽古場では俳優のみなさんが竹内さんを楽しませよう、笑わそうと一生懸命ですよ。
竹内:稽古場で笑わせるという点で言えば、今回、客演で参加してもらっている武田操美さんと保さんが双璧をなしているけれどね(笑)。武田さんは、自分の好きなリズムを刻みながらしゃべり動くというスタイルの芝居を高いレベルでやってきたことで評価を得ているけれど、今回演じるのはシリアスな役なのでそういうわけにはいかない。彼女とは96年にアイホールプロデュースで上演した『みず色のそら、そら色の水』(作:竹内銃一郎)はじめ何度か一緒に芝居をしていますが、僕と関わってきた芝居で、こういった役を演じることがなかったので、今回は相当厳しく言っていますね。彼女はこれからも俳優を続けていくんだろうけど、そういう意味では、今回の作品はよかったんじゃないかと思いますね。
保さんは、95年のOMSプロデュース『坂の上の家』(作・松田正隆)、その翌年の『みず色の・・・』など、今まで自分が演出した舞台に何度も出演している俳優です。僕は関西の演劇界を語れるほど多くの俳優を知っているわけではないですけど、50~60代の男優を一人だけ挙げるなら、保さんをいちばんに挙げますね。
土橋:保さんは劇団の俳優にもいい影響を与えているように思いますね。
竹内:彼は自分の芝居に満足することがないんです。
土橋:最初、家族劇を書きたいと思ってこれを執筆したんですが、プロット上では「父親探しは挫折する」、「母親を母性という神話から解放する」という二つを主に重視していました。だから、父親と母親以外の残された登場人物たちに、兄弟的な繋がりの可能性を託す作品なのだと、書き上がった当初は思っていました。
ところが、劇中で、細見聡秀が演じる失踪した倉田家の父親と、保さん演じる自称ライターの霧島が対峙するシーンがあるんですが、そこで僕が執筆していた時には全く想定しないようなお芝居を保さんがされてるんです。一瞬、霧島が子どものように見えてとても驚きました。二人が父親と子どもの関係に見えたんですね。あぁそうか、この作品は“捨て子”たちの物語でもあるんだなと気づかされたんです。
竹内:本人が意識しているかはともかく、霧島がそういった関係に敷かれているんだったら、あのシーンも非常に腑に落ちる。こういう発見が土橋君の戯曲には多いんだよね。ものすごく底のほうに何かが漂っている感じ。
土橋:今までお話ししてきたとおり、竹内さんの演出は劇団にとって衝撃と新たな可能性をもたらしたんじゃないかと思います。個人としても劇団としても、この経験を今後どう生かしていくかが考えどころですね。稽古を見ている限り、今回の作品はA級MissingLinkにとっての最高傑作になる予感しかしないので、是非多くのお客様に見ていただきたいです。本当にお見逃しなくと言いたいですね。
A級MissingLink 第23回公演『或いは魂の止まり木』
作/土橋淳志
演出/竹内銃一郎
平成28年
7月15日(金)19:30
7月16日(土)14:00★/19:00
7月17日(日)11:00★/15:00
7月18日(月・祝)15:00
★終演後、アフタートークあり。
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