アイホールダンスコレクションvol.66 山下残『庭みたいなもの』 山下残 インタビュー 独自の方法論と構造をもった作品を発表する振付家・山下残が、 アイホール、STスポット・ 山口情報芸術センターとの3館共同プロデュースによる最新作で、 約7年ぶりにアイホールに登場します。創作中の山下残さんに、お話を伺いました。 ■移動しながら創作する ―残さんは今作で、出演者のいる関西(伊丹)と関東(横浜)、 舞台美術家のカミイケタクヤさんの拠点(四国・高松)、 システムスタッフのいる山口の4都市を実際に移動しながら作品を創作されていますが、そもそも、 今回のような製作方法をとろうと思われたきっかけからお話しいただけますか。 出来上がった作品はダンスと演劇の境界線上になると思うけど、やっぱり自分の中にはダンスへのこだわりがあって、 作品を創るための一番根っこは自分の身体だと思っています。そこを出発点にしないと、 自分にとってのリアリティを作品に出せないと思っています。 ここ数年、海外で公演をさせていただく機会があり、そこで、宗教や人種の違う人々が作品を観るために劇場に一堂に集まったり、 観たものを評価しあったりする現場に立ち会い、自分に必要なのは「移動する感覚」なのではないかと感じました。 今までの自分のポリシーは、京都にいてじっくり作品と向き合うことでしたし、 友人や自分の家族や身近な人に対して作品を創る感覚がありました。そういった姿勢が普遍的なものに繋がると思っていましたし、 今もその考え方は変わっていないのですが、そろそろポリシーを更新してもいいのかなと。方向転換ではなく、 そういった「移動感覚」を取り入れた作品を創りたいと感じました。そのためにはまず自分が実際に移動しなくてはいけないと思い、 だから、あえて出演者を関西と関東で分けたり、舞台美術をカミイケくんの拠点の高松で製作してもらったり、 山口でミーティングしたりして、東へ西へと行き来しています。 また、人の結びつきとか、人がどう繋がるのかといったことにも興味を持っています。 今、フェイスブックとかツイッターといったインターネット内のネットワークや、 それを介した人の繋がり方が様々なところで取り上げられているけど、 そういったネットワークの仕組みを活用した作品が創れないかとも思っています。 人と人との繋がりや、移動する感覚が、舞台上でどう連鎖反応させるかにも興味があります。 ■“コミュニケーション”のかたちを明確にみせる ―アイホールのTake a chance projectで発表された『そこに書いてある』(2002年)『透明人間』(2003年)『せき』(2004年)は、 いずれも言葉や文字を取り入れたダンス作品でした。今回も“言葉”を意識した作品になりそうですか。 Take a chance projectの3作品では、言葉を道具として使いながら、ダンスの振付を“言葉で記録する”ための方法を模索し、 そのプロセスを作品にしてきました。そのあと2005年頃からは、言葉を使わない振付の方法論をあえて探りました。 昨年、マレーシアの演出家ファーミ・ファジールとの共同創作や、高松でのワークショップ受講生との作業で、 落ちているものや身近なものを使って、どうダンスを創るかを試みました。 今度の新作では、そういった今までのプロジェクトを総合したうえで、もう一度“言葉”を使った作品にしたいと思っています。 ここ数年の創作プロセスの完成型を目指していて、今はそれらの方法論がどうすれば合体できるか試行錯誤中です。 出演者が言葉として記録したものを、いかに相手に送り届けて、また届けられた人はいかにキャッチするか、 そういった送受信のようなことをしたいと思っています。出演者に言葉として記録されるモノは、 カミイケくんがピックアップしてくれた高松の海岸などに落ちていた流木や鉄製のものなどで、 出演者はそれを言葉や動きを使って記録します。そして、モノや記録した言葉や動作を介することで、 別の誰かとどう繋がることができるかを試しています。 言葉が“記録するもの”から“繋がりをつくるもの”になることを意識しているんです。 ―稽古の様子を拝見したのですが、ちょうど捕虫網について、片方が、 色やかたちや使い方や受けた印象などを単語や擬音語や動作などで相手に伝え、 相手はそれに反応して何かしらのアクションを起こしていました。 まさに、“モノ”と“言葉”と“からだ”で2人が繋がっていく様子を垣間見ることができました。 その繋がりは“コミュニケーション”と呼ばれるようなものかもしれません。 コミュニケーションと一言でいっても多種多様だけど、そういったものを明確に見せていければと考えています。 最終的には、モノを媒介に送受信されている電波のような、人と人の見えない繋がりが浮き出てくればと思っています。 そういった繋がりが、舞台上の様々なところで発生して、 ネットワークのようなものを築いていく様子を試みたいと思っています。 ■創作メンバーのこと ―今回、山口情報芸術センター(YCAM)のスタッフがシステムデザインとして参加されています。 テクノロジーやメディアについてどこに魅力を感じましたか? 最先端のテクノロジーやメディアを使うことにも興味はありますが、まずはプログラミングという考え方に興味があります。 なので、いきなり機材を使って何かをしたいわけではなく、 まずそこで仕事をしている人と作品の中身についてアイディアの交換をしたいと思っています。 プログラマーの思考回路に興味があるんですよ。 今回の作品が、本格的にプログラミングしている人の頭脳やメカニズムにどれぐらい対応できるのかも興味がありまして、 だから、話し合うだけでもかなり作品に影響がでると思うし、そこから必要なものを取り込んでいきたい。 そのなかで面白い発見ができたらいいと思っています。 ―出演者はワークショップに参加された方から決められたそうですね。 伊丹と横浜の2箇所で、それぞれ長期的なワークショップをして決めました。 僕としては、じっくり一緒に時間をかけて作品と向き合えるかどうかが大きかった。 僕は、稽古場での姿勢や雰囲気も作品に影響あると思っていますので、 出番がなくても稽古を見ることも作品創りと理解している人が最終的に集まりました。 あと、「声」かな。声を出すことは最初から決めていたので、小さな声でもちゃんと客席に届く人。 結果的には、ダンスも俳優もする人を選んだかたちになりました。 ■タイトルのこと ―『庭みたいなもの』は、どういったところから出てきたのですか? 今まで、自分に足りないものや得意ではないことを取りこんで作品を創る傾向があったんです。 言葉を使うことも即興も、実は得意ではありませんでした。そういう意味でガーデニングや畑仕事もやったことがなくて、 どちらかというと苦手なんですよ。だから、オーガニックなものを作品に取り込んでみたいなと思ったんです。 庭づくり、畑仕事、森、キャンプ、アウトドア・・・そういったフレーズが浮かびました。 あと、「庭みたいなもんや」という関西弁の言葉遣いが面白いなと思いました。 でも、そのままだとあまりに関西弁すぎてね(笑)。 もともと、出演者が流木などのオブジェや物を持って舞台に出てくるという構想が早い段階からあったので、 “もの”は“物”だと。あと、「〜みたいなもの」というと、普遍的な感じがする。 例えば、「扇風機みたいなもの」は、なんとなくどういったものかイメージができるけど、 「庭みたいなもの」といっても、普遍的なものが想像できない。みんな別々のものをイメージする。 そこらへんが面白いと思いました。 ■これからの振付家の役割 作品を観たお客さんに、「演劇作品」と言われてもたぶん反論はしないと思うし、 「これはダンスです」と押し付けるつもりもありません。Take a chance projectの頃は、 もともとあったダンスの概念を少しズラして新たなダンスの価値観を提示していくことに興味があったけど、 今はそうではない。“ダンス”という概念は、もう既にみんなの中で認識されきっていると思っています。 それに、今までは自分の身体を出発点にしているのがダンスだと思っていたけど、 今はテクノロジーがそれを越えている感覚もあって、例えば、 体感型ゲームの「キネクト」(画面の中のキャラクターにあわせて踊るゲーム)では、 画面を観て踊っている人もその画面の中のキャラクターも、言うなれば“ダンサー”といっていいんですよね。 だから今は、ダンス=身体表現ということに、こだわりにくい時代に突入しているんじゃないかと思う。 じゃあ、次に僕らは何をすべきかを考えると、“ダンス”という枠組みの中で、入れ替えたり、 ある箇所をある箇所に移動したり、ときにお客さんが作品を能動的に変えていけたり…、 そうやって枠組みの中で遊ぶ感覚、ゲームをする感覚を見つけていくことが必要なんじゃないかな。 “ダンスとはこういうもの”という価値観の提示は、もう、アーティストの役割ではなくて、 既存の“ダンス”の枠組みの中でどんな遊びを提案していけるのか、 それが振付家の役割になっていくんじゃないかと思っています。 2011年7月 京都市内の稽古場にて
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