■作品について | ||
金: | ![]() 僕は生まれも育ちも東京ですが、関西に来るとなぜかホッとするんですね。 コリアン―この言葉をパギやんは嫌いますが―そういう僕らの根っこが関西にあるのかなとも思います。 39年前に地名としては無くなったんですけど、「猪飼野(イカイノ)」は大阪です。僕が映画『夜を賭けて』を撮ったときも猪飼野が中心でしたし、 僕らが慕ってやまない梁石日(ヤン・ソギル)さんや金時鐘(キム・シジョン)さんの故郷でもある。歴史を掘り下げていったら、 猪飼野は古代から渡来系の人たちが集ってきた場所で、以来、ずっと営みが続いてきたところです。 植民地になってからも、「済州島四・三事件」という大変不幸な事件が起きてからも、猪飼野を頼ってやってくる人は大勢いたと聞きます。 これから僕らが在日の文化をつくるにあたって、猪飼野を文化の故郷にしたら、心はバラバラであってもお互いの共通点を見いだせるのではないかとさえ思っています。 今作では、猪飼野の成り立ちを考えるため、金時鐘さんの『猪飼野詩集』や当時の写真も挿入しています。 在日が“百年生きてきた”のは植民地時代からであって、今、3世代を生きてきて、そして僕らは“これからの百年”に向かってどう生きるのか。 そういう大きなテーマを掲げながら、それを演劇というジャンルで表現したいと思います。 |
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趙: | 金さんとは1986年からの知り合いですが、一緒に仕事をするのは今回が初めてです。普段、僕は歌を歌っていて、2010年「日韓併合百周年」のとき、
「なんか歌をつくらなあかんなぁ」と思って出来たのが『百年節』です。東京でライブでやったのを金さんが聴かれて、これを芝居にしようやないかとなったんです。
最初は半信半疑でしたが、ソウルでやるから脚本書けとなって、あれよあれよという間に今日に至りました。![]() 芝居の内容としては、僕が新曲(『百年節』)を作れなくて、ライブに間に合わせるために、店に寄ってくる常連たちに話を聞いて歌詞を書いていく、 という設定をとっています。常連たちは、いつものように喧嘩をしたり、笑い話をしたり、時には回想したりするんですが、 各場面の最後に僕がそれらを歌詞として書き連ねていき、新曲が完成するという構成です。 その流れのなかに、歴史の悲喜こもごもや今の在日の置かれている状況に対しての異議申立てなどを面白可笑しく入れ込んだ作品になっています。 全体としては音楽劇です。在日問題を啓蒙するつもりもなければ、在日を売り物にしようとも思っていません。 でも、僕らなりの何かこう、“チクッと刺しながら、アハハと笑う”、笑いながら泣いたり、泣きながら笑ったりする、そんなお芝居ですね。 |
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金: | 韓国では、在日に対して関心がないし、今まで知られてもいなかった。在日を飛び越して“日本”に関心を持っている。
韓国語を喋られない在日の人に対しての差別もひどく、祖国に行ったはずなのに傷ついて帰ってくる人も多々いて、逆に話せる人は北朝鮮かと警戒される。
韓国の公演では、そういう状況に一矢を報いたいという思いもありました。向こうでの出演者オーディションでは、芝居の上手さはもちろんですが、
そういうことに少しでも興味がある役者たちを集めました。それでも(在日について)知らないことばかりなので、
『パッチギ』などの映画を観せながらディスカッションをしました。例えば日本には朝鮮学校があるけどあれは何なのか、とか、
なぜ北を支持するようになったのか、とか。座付作家(趙博)もいたのでドラマは膨れ上がりました。
だからこの作品は、向こうで役者たちと論争しながら作っていった作品でもあります。![]() |
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※済州島四・三事件(さいしゅうとう・よんさんじけん) 朝鮮半島の南北分断を背景に、1948年4月3日にはじまる済州島民衆の抗争と、これを理由に軍・警察・右翼青年団などが引き起こした一連の島民虐殺事件。 1954年9月21日までの間に行われた政府軍・警察による粛清により、済州島の村々の約70%が焼き尽くされ、数万名にのぼる犠牲者が出たといわれている。 |
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■“在日文化”の形成に向けて | ||
金: | 日本で生まれ育った僕たちが韓国名を名乗っていると、“反日”じゃないかと誤解を受けることがあるんですが、そうではないんです。
僕らは日本人と一緒に作品をつくっていて、日本の社会で生きている。ただし、(過去を)無かったことにして前に進もうではお互いに分かり合えないでしょう。
衝突するところはしっかり衝突していくために、あえて帰化もしないんです。どうやったら共存できるかも含めて芝居を創り続けたいし、
それは在日を売りにするとかではなくて、この国における僕ら自身の存在証明でもあるんです。それを梁山泊でもしっかりとテーマに掲げながら、
隠れないで堂々と日本で生きていくためにも、新たな一歩を踏み出していきたいと思っています。![]() この芝居で圧巻なのはラストの12分。音楽劇と言われる所以で、思いっきり歌って踊ります。そのために、今、必死で楽器を稽古しています。 新宿梁山泊は、僕を入れて3名が在日で、あとはすべて日本人なので、リズムに苦労しています。最後はチンドン屋が主となって、 「こんなの吹き飛ばせ。忘れよう。でも記憶しておこう」と歌いあげます。「38度線を世界遺産にしましょう」というのも好きなフレーズで、 それをみんなで蹴飛ばしながら越えていこうというわけです。僕たちはこう生きていたという、嘘偽りでも表面的でもない歴史が、 このラスト12分の歌に見事に書き起こされていると思っています。 |
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趙: | ![]() |
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■Q&A | ||
Q. 作品の委嘱をされた劇場は、公立劇場だったんですか? | ||
金: | いえ、民間の劇場です。斗山(トゥサン)グループという、プロ野球の球団も持っている韓国では名の知れた大企業です。その企業が持っている劇場で、1ヶ月ロングランをやりました。韓国の俳優と韓国語で上演したので、日本語で上演するのは今回が初めてです。もともと、僕の中では梁山泊ありきで考えていたのですが、こういう機会に韓国の人たちにも知ってもらいたいと思い上演しました。 | |
Q. 演出や戯曲は韓国と日本では大きく変わりますか? | ||
金: | 大きくは変わらないですね。韓国の公演では、パギやんが日本から参加した唯一の役者で、でも、向こうでは韓国語で出演しました。実は来年3月に、新宿梁山泊版『百年〜風の仲間たち』をソウルに持ち帰り、日本語で字幕を使って上演します。演出が変わると同じ作品でも変わると言われますが、役者が変わると演出もここまで変わるのかという演劇的な面白みを伝えたいと思っています。キム・ヨンテ(趙博の演じた登場人物)もハングルと関西弁とではこんなにも違うのかと、一度観ていただいた人にも参加した役者たちにもインパクトを与えたいですね(笑)。 | |
趙: | (台本を担って)今回なるほどと思ったのは、日本語やったら(話し言葉として)無理やでという言葉が、韓国では通用するということ。例えば「忘却する」という言葉を劇中で使うと、(日本語では)「そんなこと忘却しろよ」となって、変ですよね。でも韓国語ではOKなんです。大和言葉は難しいと、改めて感じました。 | |
金: | 彼はまず日本語で戯曲を書いていますから、それを翻訳しなくてはいけなかった。でも、翻訳って難しいじゃないですか。そこで『YEBI大王』を書いた洪元基(ホン・ウォンギ)に入ってもらって、説明的な言葉を演劇的用語にしていきました。結構、手間暇かけたんですよ。現場は熱かったですね。あと、公式的にも発表したんですが、来年、韓国で『百年』に参加したメンバーが主体となって「鍾路(チョンロ)梁山泊」が旗揚げします。僕が全州大学の客員教授をしている関係で、そこの学生を日本に呼んだりもしていて、これから日韓の間で若い人たちが本格的に行ったり来たりし始めます。やっとここまできました。これからは梁山泊の輪を広げて、日本と韓国の狭間で、その境界人として、役割を果たしていきたいと思いますし、そういう意味でも『百年〜風の仲間たち』はそれに相応しい第一歩だと思います。 | |
(2012年8月6日 大阪市内にて)
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