【AI・HALL共催公演】

新宿梁山泊『百年〜風の仲間たち』


新宿梁山泊『百年〜風の仲間たち』が平成24年9月7日(金)〜9日(日)に上演されます。約19年ぶりとなるアイホールでの上演に先駆け、演出の金守珍(キム・スジン)さんと、今作の劇作を担った歌手の趙博(チョウ・バク)さんに、作品についてお話を伺いました。


■作品について
金: この作品は、2011年6月〜7月に韓国・ソウルのDoosan Art Center(トゥサン・アートセンター)の企画「境界に生きる人々」で上演しました。 劇場から、境界線上/ボーダーというテーマで作品をつくってくださいと依頼されたとき、趙博さんの歌『百年節』を思い出しました。 在日の歴史を15分の歌の中で的確かつクリアに構成して、韓国民謡のリズムを取り入れながらも時代時代の大衆流行歌を挿入することで、 歌謡史ともいえるかたちに仕立ている、大変素晴らしい歌だと思いました。これを拡大したら、依頼に応えられるんじゃないかと思い、 パギやん(趙博の愛称)に打診したところ快諾いただき、そこで、僕がパギやんになぜこの歌をつくったのかを取材するかたちをとって、 一つの作品を創っていきました。登場人物たちが集う場所は、大阪・玉造に実在するお店「風まかせ人まかせ」にしました。 このお店は、僕が来阪したときによく行く店で、アットホームで大阪らしい雰囲気があって、とても魅力的な女将さんもいます。 (取り扱うのは)暗くて重くて辛いテーマですけど、在日の歴史を含みながら、それを吹き飛ばそうという関西人や在日関西人のエネルギーが羨ましくもあり、 まさに虚実合わせてこの作品が出来上がりました。
僕は生まれも育ちも東京ですが、関西に来るとなぜかホッとするんですね。 コリアン―この言葉をパギやんは嫌いますが―そういう僕らの根っこが関西にあるのかなとも思います。 39年前に地名としては無くなったんですけど、「猪飼野(イカイノ)」は大阪です。僕が映画『夜を賭けて』を撮ったときも猪飼野が中心でしたし、 僕らが慕ってやまない梁石日(ヤン・ソギル)さんや金時鐘(キム・シジョン)さんの故郷でもある。歴史を掘り下げていったら、 猪飼野は古代から渡来系の人たちが集ってきた場所で、以来、ずっと営みが続いてきたところです。 植民地になってからも、「済州島四・三事件」という大変不幸な事件が起きてからも、猪飼野を頼ってやってくる人は大勢いたと聞きます。 これから僕らが在日の文化をつくるにあたって、猪飼野を文化の故郷にしたら、心はバラバラであってもお互いの共通点を見いだせるのではないかとさえ思っています。 今作では、猪飼野の成り立ちを考えるため、金時鐘さんの『猪飼野詩集』や当時の写真も挿入しています。 在日が“百年生きてきた”のは植民地時代からであって、今、3世代を生きてきて、そして僕らは“これからの百年”に向かってどう生きるのか。 そういう大きなテーマを掲げながら、それを演劇というジャンルで表現したいと思います。
趙: 金さんとは1986年からの知り合いですが、一緒に仕事をするのは今回が初めてです。普段、僕は歌を歌っていて、2010年「日韓併合百周年」のとき、 「なんか歌をつくらなあかんなぁ」と思って出来たのが『百年節』です。東京でライブでやったのを金さんが聴かれて、これを芝居にしようやないかとなったんです。 最初は半信半疑でしたが、ソウルでやるから脚本書けとなって、あれよあれよという間に今日に至りました。
この歌の背景をお話しますと、みんな忘れているかもしれませんが、実は1930年代に日本で朝鮮民謡「アリラン」が大ブームになりました。 西條八十や服部良一といった人たちが、「アリラン」をテーマにした曲をいっぱい作るんですね。韓国の大衆歌、いわばK・POPブームの最初は1930年代だったんです。 でもこれは、植民地にされた朝鮮人の側からすると、おぞましき日本帝国主義の文化侵略でもあったわけです。 ところが、そのとき流行った歌謡曲の趣向は今だに続いています。金さんが『百年節』のことを歌謡史的とおっしゃいましたけど、僕自身、 戦前戦後の代表曲を意図的に挿入歌にして、「在日」側から見た100年を歌にしたらどうなるのかという視点で曲作りをしました。 12分の組曲に思いを込めて、最後に出演者全員でレビュー的に歌い踊ります。
芝居の内容としては、僕が新曲(『百年節』)を作れなくて、ライブに間に合わせるために、店に寄ってくる常連たちに話を聞いて歌詞を書いていく、 という設定をとっています。常連たちは、いつものように喧嘩をしたり、笑い話をしたり、時には回想したりするんですが、 各場面の最後に僕がそれらを歌詞として書き連ねていき、新曲が完成するという構成です。 その流れのなかに、歴史の悲喜こもごもや今の在日の置かれている状況に対しての異議申立てなどを面白可笑しく入れ込んだ作品になっています。 全体としては音楽劇です。在日問題を啓蒙するつもりもなければ、在日を売り物にしようとも思っていません。 でも、僕らなりの何かこう、“チクッと刺しながら、アハハと笑う”、笑いながら泣いたり、泣きながら笑ったりする、そんなお芝居ですね。
金: 韓国では、在日に対して関心がないし、今まで知られてもいなかった。在日を飛び越して“日本”に関心を持っている。 韓国語を喋られない在日の人に対しての差別もひどく、祖国に行ったはずなのに傷ついて帰ってくる人も多々いて、逆に話せる人は北朝鮮かと警戒される。 韓国の公演では、そういう状況に一矢を報いたいという思いもありました。向こうでの出演者オーディションでは、芝居の上手さはもちろんですが、 そういうことに少しでも興味がある役者たちを集めました。それでも(在日について)知らないことばかりなので、 『パッチギ』などの映画を観せながらディスカッションをしました。例えば日本には朝鮮学校があるけどあれは何なのか、とか、 なぜ北を支持するようになったのか、とか。座付作家(趙博)もいたのでドラマは膨れ上がりました。 だからこの作品は、向こうで役者たちと論争しながら作っていった作品でもあります。
韓国では、「済州島四・三事件(※)」は封印されています。金大中大統領のときに少し蓋が開いたんですが、 今はまた閉められちゃった状態です。連絡船があったことで、猪飼野には特に大勢の済州島の人がいて、 四・三事件の惨たらしい歴史が受け継がれ残されることになりました。僕はそういう暗い過去や捨てて忘れたい過去を、 演劇の力で“忘れてはいけない物語”として提出し、そこに関心を持っていただいて拡大していく必要があると思っています。 決して政治的なことではなくて、我々が今までの営みを受け継ぐためにも忘れてはいけないことなのです。 今作のテーマは、「忘れよう、そして記憶しておこう」です。四・三事件の犠牲者である金時鐘さんは、50年を経てやっと語り始めました。 惨たらしい過去を忘れないと今日を生きてこれなかったんです。僕もその事実を、金石範(キン・セキハン)さんの『火山島』で初めて知り、 人間は50年経たないと本当の痛みを語れないことを改めて感じました。その痛みを僕らが理解するのはおこがましいですけど、 韓国語でいう「恨(ハン)」という思考、これは恨みという意味ではありませんが、その「恨(ハン)」を解かないと次に進めないと感じています。 そのためにも、もう一度記憶を呼び起こし、解決するためにも、許し合うことが必要なのではないかと考えます。 日韓の間でこんがらがっていることがまだまだいっぱいあります。僕らの小さな力で少しずつそれを解いていくためにも、 できればこの芝居をレパートリーにしたい。そして、どこの国にもいる少数民族や移民のように立場が弱く、その社会に溶け込めない人たちのところに行って、 この芝居をし続けたいと思っています。
※済州島四・三事件(さいしゅうとう・よんさんじけん)
朝鮮半島の南北分断を背景に、1948年4月3日にはじまる済州島民衆の抗争と、これを理由に軍・警察・右翼青年団などが引き起こした一連の島民虐殺事件。 1954年9月21日までの間に行われた政府軍・警察による粛清により、済州島の村々の約70%が焼き尽くされ、数万名にのぼる犠牲者が出たといわれている。
■“在日文化”の形成に向けて
金: 日本で生まれ育った僕たちが韓国名を名乗っていると、“反日”じゃないかと誤解を受けることがあるんですが、そうではないんです。 僕らは日本人と一緒に作品をつくっていて、日本の社会で生きている。ただし、(過去を)無かったことにして前に進もうではお互いに分かり合えないでしょう。 衝突するところはしっかり衝突していくために、あえて帰化もしないんです。どうやったら共存できるかも含めて芝居を創り続けたいし、 それは在日を売りにするとかではなくて、この国における僕ら自身の存在証明でもあるんです。それを梁山泊でもしっかりとテーマに掲げながら、 隠れないで堂々と日本で生きていくためにも、新たな一歩を踏み出していきたいと思っています。
『かぞくのくに』や『ディア・ピョンヤン』で世界的に評価されている映画監督・梁英姫(ヤン・ヨンヒ)も猪飼野の出身です。 こういった心ある在日の2世3世たちが、やっと力を得てきて、隠れていた部分や押さえつけられた部分をしっかりと伝えることができる土壌が出来てきた。 僕としては仲間が出来たと思っています。この仲間たちと“在日文化”、日本人と楽しみながら共存できる誇れる文化を作りたい。 「文化が武器だ、経済は武器ではない」と金大中さんもおっしゃった。文化で共有できるのなら日韓和合も夢ではないと思っています。
この芝居で圧巻なのはラストの12分。音楽劇と言われる所以で、思いっきり歌って踊ります。そのために、今、必死で楽器を稽古しています。 新宿梁山泊は、僕を入れて3名が在日で、あとはすべて日本人なので、リズムに苦労しています。最後はチンドン屋が主となって、 「こんなの吹き飛ばせ。忘れよう。でも記憶しておこう」と歌いあげます。「38度線を世界遺産にしましょう」というのも好きなフレーズで、 それをみんなで蹴飛ばしながら越えていこうというわけです。僕たちはこう生きていたという、嘘偽りでも表面的でもない歴史が、 このラスト12分の歌に見事に書き起こされていると思っています。
趙: 台詞の中には、政治的に微妙な話も出てきますが、実は、それは僕らが普段当たり前のように話していることです。 北も南も嫌いやと言うたらそれで終わりですけど、それだけでは済まんのですわ。「60年経っても戦争をよう終わらせん、 こんな不甲斐ない奴らと私らは付き合っていかなあかんのです」という主人公・スジャの台詞に、猪飼野に比べたら、 日本も北朝鮮も韓国も“小さい”というメッセージを込めたつもりです。自分に対する批判を恐れずに言うと、差別問題や人権問題を語るときに陥る危険性は、 往々にして、具体的にそれらを描くことで「皆さん、こういうこと知らないでしょう」という啓蒙になってしまうことや思います。 でも、それじゃ面白くないんですよ。啓蒙は、芸術にも演劇にも歌にもならない。穿った言い方をすると、在日や猪飼野のことを描きながら、 普遍的な「人間問題」を描いている。つまり、「あんた自身の問題ちゃいますか?」っていうかな、反対の立場やったら「どやねん?」、 つまり「鏡の効果」が客席で醸されれば、この作品は成功やと思うんですよね。

■Q&A
Q. 作品の委嘱をされた劇場は、公立劇場だったんですか?
金: いえ、民間の劇場です。斗山(トゥサン)グループという、プロ野球の球団も持っている韓国では名の知れた大企業です。その企業が持っている劇場で、1ヶ月ロングランをやりました。韓国の俳優と韓国語で上演したので、日本語で上演するのは今回が初めてです。もともと、僕の中では梁山泊ありきで考えていたのですが、こういう機会に韓国の人たちにも知ってもらいたいと思い上演しました。
Q. 演出や戯曲は韓国と日本では大きく変わりますか?
金: 大きくは変わらないですね。韓国の公演では、パギやんが日本から参加した唯一の役者で、でも、向こうでは韓国語で出演しました。実は来年3月に、新宿梁山泊版『百年〜風の仲間たち』をソウルに持ち帰り、日本語で字幕を使って上演します。演出が変わると同じ作品でも変わると言われますが、役者が変わると演出もここまで変わるのかという演劇的な面白みを伝えたいと思っています。キム・ヨンテ(趙博の演じた登場人物)もハングルと関西弁とではこんなにも違うのかと、一度観ていただいた人にも参加した役者たちにもインパクトを与えたいですね(笑)。
趙: (台本を担って)今回なるほどと思ったのは、日本語やったら(話し言葉として)無理やでという言葉が、韓国では通用するということ。例えば「忘却する」という言葉を劇中で使うと、(日本語では)「そんなこと忘却しろよ」となって、変ですよね。でも韓国語ではOKなんです。大和言葉は難しいと、改めて感じました。
金: 彼はまず日本語で戯曲を書いていますから、それを翻訳しなくてはいけなかった。でも、翻訳って難しいじゃないですか。そこで『YEBI大王』を書いた洪元基(ホン・ウォンギ)に入ってもらって、説明的な言葉を演劇的用語にしていきました。結構、手間暇かけたんですよ。現場は熱かったですね。あと、公式的にも発表したんですが、来年、韓国で『百年』に参加したメンバーが主体となって「鍾路(チョンロ)梁山泊」が旗揚げします。僕が全州大学の客員教授をしている関係で、そこの学生を日本に呼んだりもしていて、これから日韓の間で若い人たちが本格的に行ったり来たりし始めます。やっとここまできました。これからは梁山泊の輪を広げて、日本と韓国の狭間で、その境界人として、役割を果たしていきたいと思いますし、そういう意味でも『百年〜風の仲間たち』はそれに相応しい第一歩だと思います。
(2012年8月6日 大阪市内にて)

【AI・HALL共催公演】
新宿梁山泊
『百年〜風の仲間たち』

9/7(金) 19:00、9/8(土) 14:00/19:00、9/9(日) 15:00
一般3,800円 学生2,800円