出席者
『少女仮面』演出:深津篤史(桃園会)
『幼児たちの後の祭り』演出:三枝希望(焚火の事務所)
『血は立ったまま眠っている』演出:岩崎正裕(劇団太陽族)
司会:小堀純(編集者)


■それぞれの上演作品との出会い
小堀: 今回は4回目の「現代演劇レトロスペクティヴ」となります。日本の演劇史に燦然と輝く作品が一堂に会し、それを関西の第一線で活躍する演出家が、自身の劇団で演出するという趣旨の企画です。 早速ですが、それぞれ何故この作家の、この作品で、今現在どういうプランで演出しようとしているのか、話してもらおうと思います。
今まで深津君は岸田國士、別役実、三島由紀夫と、名だたる劇作家を演出されてきましたが、桃園会でやってる芝居は、唐十郎さんとは作風がちょっと違うとは思うんだけれども、それも含めて何故、『少女仮面』を選んだのでしょう?

深津: 『少女仮面』は、僕が大学一回生の時(1986年)、京都の今宮神社御旅所で生まれて初めて観たアングラ演劇でしたし、また唐十郎作品の中で初めて観たのが『少女仮面』だったんです。 その時の衝撃は忘れられませんでした。だから理由としては、「これがやりたいから」っていうシンプルな動機だけで、唐さんの作品をやるんなら、『少女仮面』と昔から決めていました。
例えば桃園会や太陽族さんを観に来るお客さんの気分と、それと状況劇場や唐組を観に行くお客さんの気分って違うと思うのですね。われわれを観に来てくれるお客さんというのは、「演劇」を観に来てくれるんだと思うんですけど、それとはまた違う、サーカスやお祭りに行く時と同じような、唐さんの芝居を観に行く時に抱く “期待する気分”を裏切らないところを見せたいと思います。

小堀: 『少女仮面』を観た時の印象はどうでした?
深津: 何にも覚えてないんですよ(笑)。ただ、ビックリしたことしか覚えてなくて。李麗仙さんがカッコ良かったというのと、老婆役の第三エロチカの川村毅さんが気持ち悪かったっていうのと(笑)、あとは、腹話術師の人形の話はなんとなく覚えていたんですけど、内容も意味もわかんなかったですね。
小堀: 『少女仮面』は短いから、あっという間に終わっちゃったって感じでしょ。
深津: たぶん、そうだと思います。アングラのイメージで、長かったような先入観があったんですけど、台本読んでみたら実際短いし、あっという間に終わっちゃったんだろうなと。
小堀: 三枝君に聞きますけど、秋浜悟史さんの『幼児たちの後の祭り』は’68年初演です。『少女仮面』初演の一年前、当時、秋浜さんは劇団三十人会を主宰していて現役バリバリの頃でした。三枝君は秋浜先生の教え子でもあるし、思い入れもひとしおだと思うのですが。
三枝: 大阪芸術大学に入った時から、その圧倒的な演出力で、現場の空気を一瞬のうちに変えてしまうマジックを目の当たりにしたり、はじめて戯曲を書いて誰に見せたらいいかわからない時、秋浜先生にお見せしたら非常に丁寧に読んで下さって的確なアドバイスもしてくださり、この人を「先生」に決めようと思って、それからずっとくっついて回ったんです。 大学は中退してしまったんですが、ピッコロ演劇学校が開校(’83年)した時に受験すると先生と約束していたのですが、面倒くさくてやめちゃったんですよ。その後、お会いした時にすごく怒られたんですね。「段取りしていたのに」と。それであらためて二期生として入学しました。
それから劇団を旗揚げして十五年ほどやっていまして、秋浜先生の方から「社会人も入れる大学院で授業をするよ」と連絡を受けて、四十歳を過ぎていましたが、先生の勧めのままに大阪芸大大学院に入りました。
あらためて秋浜先生の講義を聞くと、学生時代に聞いていた時とは染み込みやすさが全然違うんですよね。それから勉強するのが面白くて、またさらに深く秋浜先生を知りたい、関わりたいという思いが強くなりまして、自分の作品を上演するたびに、或いは何かするたびに相談をしていました。2005年に亡くなられるまでずっとそうでしたね。
で、去年、ピッコロ劇団の孫高宏君と呑んでいた時に、私が保育園に勤めているものですから、その繋がりで先生の作品やるんだったら『幼児たちの後の祭り』だなと話すと、「アンタはいつも口だけやないか!」と(笑)、孫君に絡まれまして、「現代演劇レトロスペクティヴ」というのを岩崎君がアイホールで企画しているということで、その場を収める目的もあって、岩崎君に電話しました(笑)。
先生の作品を上演という形でもう一度噛みしめたいという気持ちは常に持っていたんですよね。ピッコロ劇団でも追悼公演という形で上演されていますが、あらためてわれわれの手で、先生というものを見つめたい、噛みしめたいという欲求が出発点です。

小堀: 岩崎君が演出する寺山修司の『血は立ったまま眠っている』ですが、寺山さんが23歳の時に劇団四季に頼まれて書いて、浅利慶太さんの演出で上演されました。ちなみに『少女仮面』も唐さんが鈴木忠志さんに頼まれて書いた本ですね。で、岩崎君は以前、『大山デブ子の犯罪』を演出していますよね。何故、今回この作品にしたのか教えていただけますか。
岩崎: 『大山デブ子~』の時は、「テラヤマ博」という催しの一環で上演したんですけど、作品を選択するために、寺山修司の戯曲をたくさん読んだんです。 その中で最もやってみたいなと思ったのが、実はこの『血は立ったまま眠っている』でした。
後期の寺山作品は場面のピースが短い分、何しろ、非常に実験性が高いので、ちょっと太陽族としては難しいだろうなというところがあったんですけれども、この作品は対話劇としての体裁を持っているということが一つ大きな要因です。初期の寺山さんのドラマって対話中心で、そんなに言葉とか場面の飛躍はないんですけれども、23歳のエネルギーがものすごいパンパンに膨れ上がっているんですね。そこが魅力でしたね。

小堀: この戯曲はジャン・ジロドゥの『間奏曲』を劇団四季が上演した時に、それを観に行った寺山さんが浅利慶太に感想文みたいな手紙を書いたらしいんですね。そうしたら、浅利さんから連絡があって、戯曲を書かないかということで書いたらしい。寺山さん、劇団四季の芝居は観ていたということだよね。

■60年代のメッセージ
小堀: 三枝君が演出する『幼児たちの後の祭り』も60年安保が一つ大きなモチーフになっています。『血は立ったまま眠っている』も確か’60年の6月に上演されたという背景があり、『少女仮面』も戦後から24年たった時代という社会情勢も出てくる。どれもメッセージ性の強い作品でもあるわけです。三枝君も言ってたけど『幼児たちの後の祭り』はその後の連合赤軍事件を予感させるような、ディスカッションドラマになっているところもあるし、それを現代で上演するにあたって、どういうことを考えていますか。
三枝: 政治活動をしていた集団が、その活動の行き詰まりから、どんどん内にこもった、いわゆる「内ゲバ」に陥って、最後は壊滅していくという筋立ては連合赤軍を暗示していると思いますし、三島由紀夫の「盾の会」も実はそんな感じではなかったかなと思います。
内的な純粋さを求め過ぎると、結局、壊滅するしかないというところは、お芝居の集団でもあるんですよね。集団を維持することでいろんな要素を含んでいくうちに、つぶし合って自滅していくところがあるんですよ。そこは普遍的に、どんな集団にも存在しているんじゃないかと思います。

小堀: 時代に関係なくね。ある種、集団が幼児性を必ず孕むということだね。
三枝: 突き詰めていけばいくほど、幼児性がどんどん露出されていくところを、秋浜先生は「幼児教育研究会」として点検されていたのだと思います。
小堀: この作品はチェーホフの引用がかなりありますよね。
三枝: 作品に引用されている台詞で、『桜の園』のラネフスカヤが部屋に入ってきて、「懐かしい部屋。私、昔、ここで遊んでいたのよ。今でも私まるで子供みたい」という台詞があります。秋浜先生はチェーホフが描いた、没落していく状況、破滅に向かっていく状況に、集団の幼児性を重ね合わせて引用されたんだと思います。
小堀: 私はもちろんこの芝居は観てないんですが、先に台本読ませていただいて、ちょっとグッときましたね。熱いよね。生半可な気持ちで観に行ったら「寄らば斬るぞ!」(笑)みたいなところがあって。この作品は二幕構成になっていますけど、演出はどうされるんですか?
三枝: 休憩なしのノンストップでやります。台詞の量もかなりありますけど、一気に、バーっとジェットコースターのようにやるしかないなと思っています。
小堀: 深津君は時代の他にテキストで大きく変えてみようという試みはありますか?
深津: ないですね。時代だけです。
小堀: けっこう、ギャグが出てくるでしょ。
深津: わからないギャグがいっぱい出てきますね(笑)。
小堀: ギャグって元ネタを知らないとわからないとこがあるからね。 でも、今思うと、これを鈴木忠志さんがやったのがすごいなって思うんだけど、唐さんの戯曲って実はギャグが多いんだよね、だから、状況劇場の芝居を観に行くと、とにかく皆よく笑ったんだよね。知的な漫才のような見せ方だったし、お客さんもある種のインテリ層が多かったので、唐さんの戯曲にある知性を楽しむみたいな、そういう構造はあったような気がしますね。その一方で、当時の新劇界からは「読むに堪えない」って罵倒されていたんですが、この作品が出てきたことで、いろんな才能が出てくるわけです。
岩崎君は、1960年の時代設定をどう演出しますか?

岩崎: 今の時代へのカウンターとして、まだ全然色褪せてないと思うんですよ。とにかくもう、内容が徹底して反権力ですよね。今、この時代、反権力というものが全く力を失っているように思うので、逆にこのまま上演することで、ちゃんと現代を批評することになるんじゃないかと思うんです。あんまり当時の時代風俗とかにこだわらずに、それこそ、今の衣裳とか、ずべ公がスマホ持っていてもいいんじゃないかとか(笑)。その辺の違和感も含めて、観客が考えながら観てもらえるような劇に仕立てたいなという欲求がすごくあります。それでも寺山さんの言葉が伝わらないということはあり得ない気がするんで。
小堀: 寺山さんは、「見えないものを見る力がないと変革なんかできないんじゃないか、そういう問題提起をしたかった」と言ってました。また、「整然と行うデモというのは、飼育された家畜の行列だ」という挑発的な発言をして、政治的な演劇をしている人たちからは批判されたりしたわけですけども、ただ、寺山さんは反体制なんだけど、ある意味、土俗性とか見世物とかそういうものにすごくこだわってきた人だから、『血は立ったまま眠っている』を観ると、唐さんとの関係性がわかるような気がするし、同じ東北出身者でも秋浜さんと寺山さんの違いもよくわかります。そういう、それぞれ背景の違う人たちが、同時代に東京でこういう芝居をしていたんだと、劇を通して想像してみることはとても意味があるんじゃないかなと思いますね。

■それぞれのポイント
小堀: 岩崎君も秋浜先生の教え子だし、門下生の一人として三枝君に聞いてみたいことはありますか?
岩崎: そうですね、秋浜先生の演出法をそのまま踏襲する形で、『幼児たちの後の祭り』は立ちあがるのですか。
三枝: というか、もう、プリンティングされてますんで(笑)、どうしてもこの戯曲だったらそうなってしまうと思いますね。だから、多面的なシーンは“ブレヒト幕”なんかも使って、暗転なしでどんどん変わっていくシーンを作っていきたいなと思っております。
小堀: 桃園会はWキャストで上演するそうですが?
深津: はい。春日野八千代と、貝をWキャストでやります。春日野八千代は、はたもとようこと寺本多得子。で、貝が森川万里と阪田愛子です。
小堀: なるほど。良いキャスティングですね。
深津: そこもけっこう大変ですけどね。やっぱり、セリフ回しが違うので、どうしても芝居が小さくなっちゃいますから、そこは難しいですね。あと、うちの今回のセールスポイントは、中村賢司(空の驛舎)が演出補佐で付いているんですが、彼が稽古に来た日は稽古場日誌を自分のブログ(「中村駅長日誌」)に書いているんです。どんな演出をしてるかとか、今どんな状況なのかを、結構ネタばれっていうところまで書いちゃうので(笑)、そこが面白いかもしれませんね。劇団の稽古場日誌(桃的「仮面」の作り方)もちゃんとあるんですけどね(笑)。
小堀: 昨日会ったら、吹いてましたよ(笑)、「最後、すごいことになりますから」って。
深津: そうですか(笑) 。まあ、今回、最後は桃園会にしては珍しく政治色がきっぱり出ます。
小堀: 『少女仮面』もそうだけど、三作品とも歌が入るじゃない? そこはどう考えてますか。
岩崎: 劇中にブルース唄いがね、一人いるんですけど、朝鮮人ドラマーの兄ってことになってますけど、その役を、三重・長久手・富田林を回った「トリプル3」という企画で親しくなった、三重の「くるぶし」君という歌唄いに出演してもらいます。大阪まで出張ってもらってブルース歌ってもらおうという地域間の連携にもなるキャスティングです。
深津: うちは、いま必死で練習していますので、なんとか一応聞けるレベルにはなるかなと。ただ、上手いね、っていうレベルにはまだ遠いと思いますけど。
小堀: 三枝君は?
三枝: 四人編成の生バンドを入れます。
小堀: 座組に劇団☆新感線の右近健一君もいますもんね。深津君のところに客演はいないの?
深津: 客演さんは結構いますけど、出色なのは老婆役の隈本晃俊(未来探偵社)ですね。クマさんは歌うまいですし、デカいし。
小堀: それは最初、老婆を観た時、川村毅君が演じていたから、それがインプットされて隈本君になったのかな?
深津: そうかもしれませんね(笑)。
小堀: 太陽族は? そのくるぶし君と?
岩崎: 今のところ、リリパットアーミーⅡの野田晋市に出てもらいます。「灰男」っていうテロリストの親玉をやってもらいます。あと、うちの女優は全員ずべ公役です。
小堀: 女の役はほとんどずべ公だもんね。
岩崎: あの作品の中では「三十歳越えたら全部敵」、って書いてあるじゃないですか。「ドント・トラスト・オーヴァー・サーティ!」。あの感じが爽快でいいんですよね。またね、うちの南勝に合う老人(刑務所の保険屋)という良い役があったんですよね。南勝は良い味出してくれると思うんですけど、あれも要するに、保険なんて担保かけてるのは老人にすぎない、という逆説ですからね、ドラマの中では。

■作品にまつわるエピソード
小堀: それぞれシアタートークがありますが、三枝君のところは南河内万歳一座の内藤裕敬君が出るんだよね?
三枝: 私があまり喋れない人間なんで、内藤さんだったら、いろいろ引き出してくださるでしょうし、もし客席に懐かしい顔が居たら、舞台にあげちゃうかもしれません(笑)。
小堀: 秋浜門下生で、先生の作品をこうやって上演する企画は今まで他にありましたか?
三枝: ピッコロ演劇学校の卒業公演で過去に一回くらいあったかな。あと、追悼公演で。
小堀: 誰が演出してたんだっけ?
岩崎: 鵜山仁(文学座)さんの演出で『喜劇 ほらんばか』(’06年ピッコロ劇団第25回公演)、孫高宏君が出演していました。
小堀: あー、そうかそうか。観たなぁ。太陽族は寺山修司さんの元夫人で天井桟敷プロデューサーの九條今日子さん。
岩崎: はい。九條さんとポスターハリス・カンパニーの笹目浩之さんに。九條さんはどうやら劇団四季の『血は立ったまま眠っている』を観ているらしいので、その辺も聞いてみたいなと思ってます。
小堀: 九條さんは23年度の現代演劇レトロスペクティヴで上演した、ニットキャップシアターの『さらば箱舟』(演出:ごまのはえ)をすごく気に入って誉めてましたね。
岩崎: 今回は評判を落とすつもりで頑張りたいと思っています(笑)。
小堀: 深津君のところは演劇評論家の扇田昭彦さんだよね。
深津: はい。
小堀: 扇田さんは唐さんが『少女仮面』の完成台本を鈴木忠志に手渡す時に立ちあっているんだよね。今となっては歴史的な瞬間に立ちあってるんだけど、鈴木忠志さんが何かのインタビューで「どうして台本書かないんですか?」という質問に、「同時代に別役実と唐十郎がいたら書かないだろ」って答えてましたよね。演出家らしいなと思った。今回、唐組の役者たちも、「もし時期が合えば一緒にやりたかった、呼んでほしかった」って、言ってましたけどね。この企画が発展して、それこそ三重のシンガーが出るように、東西の役者も交流していくと面白いかなと思いますね。で、最後が太陽族ですね。
岩崎: そうです。12月なんですよ。もう気持ちはかなりそっちに向かっている感じなんですけどね。
小堀: 三枝君のとこはもう稽古は入ってるの?
三枝: 9月下旬から、歌、ダンスが多いので、その稽古から始めて行きます。
小堀: 上演記録見ていたら、劇中に出てくる“俳優連”のなかに、劇作家の岡部耕大さんとか、あと、NHK『中学生日記』の湯浅実さんとかが出演されてたんですね。ビックリしたけど。
三枝: 今回、“俳優連”というのは、劇団いちびり一家の面々を中心にオーディションで集めた方たちを含めてやっていこうと思っていまして、何が生まれるか楽しみです。
小堀: 岸田戯曲賞の60年代後半のリスト見ると、1968年の第13回は別役さんの『マッチ売りの少女』『赤い鳥の居る風景』。’69年が秋浜さんの『幼児たちの後の祭り』。その翌年’70年が『少女仮面』で、’71年が佐藤信さんの『鼠小僧次郎吉』、’72年が井上ひさしさんの『道元の冒険』と続くわけです。こうして見ると60年代の後半から70年代にかけて、ハッキリとここで、日本の現代演劇のシフトが変わっているのがわかりますね。ちなみに、つかこうへいの登場が’74年の『熱海殺人事件』。これは清水邦夫さんの『ぼくらが非情の大河をくだるとき』と同時受賞だったんですね。つかさんが受賞した時はまだ25歳で、当時最年少だったんです。確か’93年に柳美里が出てくるまでは。
岩崎: 深津君は岸田國士戯曲賞を受賞した時、いくつだったの?
深津: 29歳ですね。
小堀: 唐さんが『少女仮面』書いた年齢ですね。そこへいくと、寺山さんが23歳で書いた『血は立ったまま眠っている』なんかすごいよね。
岩崎: いや、ものすごいですよ。しかも、あれ、普通に上演したら二時間半掛りますから。でも、途切れないんですよね、呼吸が本当に最後まで。
小堀: あと、この作品のなかには、既に、『レミング』の一節があるでしょ。
岩崎: あります。僕、天井桟敷最終公演『レミング』に間に合ってるんですよ。八尾西武ホールで’83年に観てるんですよね。だから、寺山体験がギリギリ出来た世代ではあります。僕は若いころに如月小春を好んで演出していたんですけれども、如月さんには寺山修司の系譜を感じるんですよ。如月さんは天井桟敷の晴海埠頭の公演を観に行った時、道に迷ってしまって結局観られなかったんだけど、その迷ってしまったこと自体が寺山修司の演劇だったんじゃないかというエッセーも書いてらっしゃいました。
小堀: 『血は立ったまま眠っている』を改めて読み返してみると、鄭義信の作品は、寺山さんに影響受けているなと思ったね。
岩崎: そうですね。底辺の描き方が鄭さんのタッチと似ている感じはしますよね。鄭さんは『ザ・寺山』も書いてらっしゃいましたし。
小堀: 『幼児たちの後の祭り』もあのディスカッションの濃さが、時間が読めないところもあるよね。上演時間が。
三枝: そうですね。二時間はかかるかなぁと。
小堀: 二時間ノンストップ?
三枝: そうですね。途中で帰られてもイヤなので休憩無しでいいやと思っています。
岩崎: 最近のお客さんは帰らないよ。
小堀: 昔のお客さんはよく帰ったけどね。オレを筆頭に(笑)。
三枝: 帰りましたね。あと、唐さんの芝居ではよく客席から「ナンセンス!」とか、「異議なし!」とか掛け声がありましたけど、ああいうのはお客さんに求めないの?
深津: ないです(笑)。
小堀: まあ、アイホールだしね。当時はみんなギラギラしていたし、特に紅テントの場合は、さっき深津君がお祭りやサーカスを観に行くって言っていたけど、オレらの場合、“事件”だよね。「事件に関わりに行く」という感じだから最初から気合が入っていて、「何なら事を起こすぞ」、「何かあったら暴れるぞ」っていう気持ちで行っているんでね(笑)。大体、テントに行く前から呑んでいるしね。上演中も呑んでいたし(笑)。
三枝: 虚構の世界に対して、「異議なし!」も何もあったもんじゃないですけどね(笑)。
小堀: 寺山さんは、60年代の頃に、「日常が面白いのに、わざわざお金払って劇場に来させるにはどうしたらいいか」をずっと考えてたらしい。今はそういう感覚、あんまりないんじゃない? 日常が面白いっていうことないでしょ?
三枝: そうですね。 1968年前後の時代背景を資料で調べてみたら、’68年はパリ五月革命、’69年に東大安田講堂事件、それ以降も’70年によど号事件と三島由紀夫の事件があって、盾の会はその前の’68年に結成してますよね。それで’72年の浅間山荘に至って、という、すごい事件、けっこう起きてるんですよね。
小堀: 演劇界の状況で言うと、’70年に日本維新派が結成してますね。北村想さんが最初の劇団「演劇師★団」を結成したのも同じく’70年。大阪万博もね。

■現代演劇レトロスペクティヴの展望
小堀: この後、レトロスペクティヴはどういう感じになっていくの? つかさんの作品はやらないの? もし上演するなら、初期作品をやってほしいけどね。『郵便屋さん、ちょっと』や、『戦争で死ねなかったお父さんのために』なんか面白いけどね。
岩崎: 『戦争で死ねなかったお父さんのために』は、太陽族の旗揚げ公演(’82年)でやりましたよ。いのうえひでのり“先生”直々に、「コレをやれ、お前ら」って言われてやりました(笑)。
小堀: 深津君は寺山修司はやりたいと思わなかったの?
深津: いや、やりたいですね。
小堀: 『毛皮のマリー』は深津君にやってほしいな、と思うんだけどなー。
深津: あー、やりたいですね。
小堀: 麿赤兒を客演に迎えて(笑)。
岩崎: ディレクターとして僕はこの企画で、いわゆる「昭和事件簿」的な括りでやりたいなと思ってるんですけどね。
小堀: じゃあ、金杉忠男の『説教強盗~玉の井余譚~』とかどうかな。でも、岩崎君も、そろそろ50歳でしょ?
岩崎: 11月で50歳になります。
小堀: もう十分、レトロだな。
岩崎: そうですね…いや、レトロと言わずして、ヴィンテージと仰ってください。
小堀: あ、そう(笑)。じゃあ三枝君もヴィンテージものだな。
三枝: はい。ヴィンテージものですか、頑張ります。

(2013年9月7日 アイホールにて)