『阿部定の犬』Archives 【資料提供:劇団黒テント】


76年上演『喜劇昭和の世界』パンフレットより。

【作品解説】
1973年に小川真由美をゲストに迎えて上演された『喜劇・阿部定-昭和の欲情』(於:紀伊国屋ホール)から「喜劇昭和の世界」シリーズ(『阿部定の犬』、『キネマと探偵』、『ブランキ殺し上海の春』の3作品)は変遷をスタートさせたと言っても過言ではないだろう。
『喜劇・阿部定~』から2年経った、75年、68/71黒色テントは<昭和列島縦断興行>と銘打ち、「喜劇昭和の世界」シリーズを引っ提げて日本各地を回る“巡業”を開始。
シリーズ第1作目として音楽劇『阿部定の犬』が生まれ、東京市日本晴区安全剃刀町オペラ通り三文横丁という架空の町を舞台に、二・二六事件と阿部定事件をモチーフにした「昭和史」を描いた。
同作で主演を務めた新井純は75年の第10回紀伊国屋演劇賞主演女優賞を受賞。68/71黒色テントと佐藤信の代表作となった。
現在の「黒テント」では当時を劇団の【第二期(1975年~1978年)】としており(劇団HP参照)、北は北海道から南は沖縄まで、劇場や劇団で設営した「黒テント」を会場として、作品を交互に上演しつつ、折を見てタイトルや内容を変えて稽古をし直し、チラシやパンフレットを刷り直して上演するスタイルを劇団の方針としていた。
その巡業の途上で『キネマと探偵』は『キネマと怪人』に、『ブランキ殺し上海の春』は、『ブランキ殺し上海の春 ブランキ編』→『ブランキ殺し上海の春 上海編』へと変化を遂げ、78年には「赤いキャバレエ」シリーズという6作品を携えてのツアーが「喜劇昭和~」シリーズと並行してスタートしている。
全国ツアーを行う劇団は今も昔も変わらず存在するが、当時の68/71黒色テントのように複数の作品を同時期に巡演し、しかもこれほどまでに変遷させていくような巡業は非常に稀有であり、今で言う試演会やワークインプログレスを壮大なスケールで行っているようなもので、『喜劇昭和の世界』シリーズは、かなり先駆的かつ前衛的な活動だったと言えるのではないだろうか。

73年『喜劇 阿部定-昭和の欲情-』チケットとパンフレット(中面と表裏)

75年上演版の『喜劇昭和の世界』の仮チラシと本チラシ表裏

75年上演の『喜劇昭和の世界』チケット
関西にも訪れて公演を行っている。大阪は島之内小劇場、京都は北野会館というテントではなく「劇場」で上演された。

76年『喜劇昭和の世界』チラシ表裏面と中面
このチラシも二つ折り

76年『キネマと怪人』と交互に上演していた際のパンフレット
劇団員たちがこの公演に至るまでの経緯やこれまで行ってきた地方公演の様子を座談会形式で語っている。

76年末に『喜劇昭和の世界』首都最終興行として上演された際のパンフレット
「沖縄公有地裁判」について推察、メインテーマの楽譜、上演記録、佐藤信のコメントも掲載。

76年上演の『喜劇昭和の世界』より、舞台写真

集合写真とテント設営や観客の様子
子供や中高生、大人までが立ち見やかぶりつきで鑑賞しているのがわかる。

戦後30年の節目を迎えた年に「運動の演劇」を旗印に掲げていた同劇団が天皇制をブラックユーモアたっぷりに描いた『阿部定の犬』はかなりセンセーショナルで、本土復帰して間もない沖縄公演の際、上演使用地の許可を巡って裁判まで起こったほどだった。写真は沖縄で公園使用不許可に対しての抗議行動。俳優達は衣装のまま、佐藤信は拡声器を持ちながら、主演の新井純や斎藤晴彦らと行進している。