『とりあえず、ボレロ』Archives 【資料提供:木冬社】


初演時公演パンフレット表紙

【作品解説】
元女優の木南ふねが暮らす日本海沿いの古い町にある写真館。そこへ突然一組の男女が訪れる。中沢しのぶという女は現役の女優で、一時はふねと同じ劇団に所属し、しのぎを削った間柄であった。そして連れ立ってきた記憶喪失のその男は、かつてふねとしのぶが愛し、奪い合った男であった。20年振りの再会は果たして…。
清水邦夫は当時の新聞取材で「40歳代のかっこいい男性を書きたかったが今の中年男にリアリティーが感じられなかった」、「今の世の中、真の男らしさを持っているのは女ではないか」、「友情にしても女同士の友情だけ21世紀まで存続しうるのではないか」等、当時の世相の印象を語っており、また、「女性に対する七分の恐怖心と三分の尊敬からこのドラマを書いた」とも述懐している。そういった清水邦夫が抱く時代性を現出させた作品が『とりあえず、ボレロ』であった。
女性の社会進出が目立ち始めた1980年代。日本では86年に男女雇用機会均等法が施行。79年から11年間、「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャーがイギリス初の女性首相に在位。また、土井たか子が日本社会党委員長に就任し、日本初の女性党首が誕生、89年の参院選では当時の与党を過半数割れに追い込む「マドンナブーム」を巻き起こすなど、とにかく「女が強い時代」であった。
そんな世情を予見してか、83年に上演された同作は反響を呼んだ。とりわけ出色だったのは吉行和子と松本典子の競演。この二人は生年月日が同じであったり、過去、同時期に劇団民芸に所属しているなど、共通項が多く、呼吸もぴったりで、硬軟好対照の愛憎の有り様が、より作品世界に深みを持たせたという。85年に全国各地を巡った再演でも好評を博した。

初演舞台装置図案
朝倉摂氏による舞台装置の図案。

稽古場訪問記
タウン誌の稽古場取材記事。初演は年の瀬も押し迫った12 月18 日~25 日であったため、稽古場にストーブなどが置かれていたエピソードや、清水邦夫との一問一答が書かれている。

吉行和子さんの稽古コラム
初演の際、吉行さんは日経新聞の「交遊抄」にコラムを寄稿していた。「決して得意ではないダンスをもはや若いとはいえない女優にこんな猛レッスンさせるなんてヒドイ!」という趣旨の微笑ましいコメントや稽古の様子、主に松本典子さんとの交友歴について書かれており、1985 年に再演された際も朝日新聞の「新友旧交」というコラムに同作品の初演時ツアーの思い出を語っている。当時はブログやSNSがなかったので、こういった新聞や情報誌が俳優の息づかいに近付ける貴重な機会だったのだろうか。

当時の公演を紹介する記事
新聞紹介記事から一部抜粋。やはり女優二人の競演がクローズアップされている。

初演パンフレット
冒頭に掲載した表紙の硬派な印象とは打って変わり、中身は読みやすい文体で構成されている。中には今でもよくあるQ&A方式のやりとりや、『火のようにさみしい姉がいて』(1978年・清水邦夫作、秋浜悟史演出)で作曲として参加した作曲家の池辺晋一郎と清水邦夫の対談。他にもスタッフ紹介や木冬社劇団員等の紹介もある。

初演時舞台写真より

初演時レヴュー
主役二人の好演が評判を呼び、公演後も各紙にレヴューが掲載された。