平成27年度現代演劇レトロスペクティヴ
蟷螂襲(PM/飛ぶ教室)×笠井友仁(エイチエムピー・シアターカンパニー)対談

出席者
蟷螂襲(PM/飛ぶ教室):清水邦夫・作『とりあえず、ボレロ』 演出
笠井友仁(エイチエムピー・シアターカンパニー):佐藤信・作『阿部定の犬』演出
司会:岩崎正裕(アイホールディレクター)

岩崎正裕(以下、岩崎):平成21年からスタートした現代演劇レトロスペクティヴも今年で6年目になりました。今年度は蟷螂襲のPM/飛ぶ教室さんと笠井友仁のエイチエムピー・シアターカンパニーさんにご登場いただきます。
今まで作品のラインナップは「不条理」や「60年代」など、毎年テーマを掲げて決めてまいりましたが、今回は「戯曲と関西の演出家との出会いの場を提供する」という企画の本質に立ち戻りまして、アイホールが「清水邦夫」・「佐藤信」というオーダーを両演出家に出して、今回の作品を選んでいただきました。作者の清水邦夫さんと佐藤信さんは同時代の演劇人でありますので、共通項もあるのではないかと思います。
笠井さんは稽古を始めていますか? 歌と音楽がありますからけっこう時間かかるでしょう。

笠井友仁(以下、笠井):5月の上旬から週に1回くらいのペースで始まって、6月から本格的に稽古が始まります。今は読み合わせと身体、歌の練習をしています。作品と対して現在我々が居る位置を探り、2ヶ月後の本番に照準を合わせる、という段階ですね。

岩崎:蟷螂さんは7月3日が初日ですので、そろそろ作品の輪郭などが見えている頃だと思いますが?

蟷螂襲(以下、蟷螂):ようやく稽古らしくなってきました。現状は20歳前後の若い俳優たちが知らない「昭和」を、昭和生まれの俺たちがまず稽古場から見せなきゃいけないなと思っています。俺が生まれた昭和33年は戦後から13年しか経っていなかったけど、若い頃は「敗戦」がすごく前だと感じていた。でも13年なんてあっという間だな、と最近とみに思う。今年が阪神大震災から20年経ってることを考えたら、10年、20年なんて…と、若い人たちとはそういう話もしています。けっこう面白いですよ。

手強い戯曲

岩崎:蟷螂さんは清水邦夫さんの戯曲を「手強い」とよく仰ってますが、どの辺りが手強いですか?

蟷螂:文体というか、口調というかリズムというか、清水さんの“癖”ですね。誰にでもあるんですけど。岩崎さんにもあるし、俺にもずいぶんある。その癖を取り払うのではなく「これはどういう癖、何を見込んでの仕掛けなんだろう」をみんなで共有したいんです。今回の座組は俺が56歳で、いちばん若い子で18歳。それくらいの年齢差がある中でも、作品についての距離は似たようなものだというところから入りたいしね。

岩崎:清水さんの台詞は独特な語り口だから、完全な口語じゃないですよね。

蟷螂:台詞の「硬さ」というのが清水さんの硬さなのか、その当時の演劇の口調だったのか迷いますね。「てにをは」も含めてすごく丁寧だったりするし。標準語で書かれているのですが、勝手に自分たちで関西弁に翻訳したりしながら、意味合いを探ったりしてます。

岩崎:笠井さんの座組も出演者の年齢の幅が広いですよね。『阿部定の犬』はいわゆる「That’s・アングラ」の文体じゃないですか。台詞を身体化しないと舞台に立ちあがってこないと思いますが、その辺はどうですか?

笠井:戯曲はエロスと狂気と猥雑さを帯びていて、観るものを引き付ける魅力があるんですが、現代の私たちが今、上演するとなったら当時と時代背景は違うし、書かれている文体も今だったら違うよな、というところもあるので、俳優が取り組むにはすごく難しい本だろうと思いました。そこで初演を観た方のお話を聞いたり、『阿部定の犬』の上映会などをして、ちょっとずつ俳優の血と肉にしていく作業をしています。その他にも「天皇」に対する捉え方など、今の若い人と70歳くらいの方だとけっこう食い違うので、その差をどういうふうに埋めていくかも探っていきたいと思っています。冒頭から「あたし」=阿部定が「あたしの切りとりましたのは、好いた男のちんちんであります。天子さまのでは、ございません」と言うわけです。その台詞から始まるだけでも魅力的なんですが、ひょっとしたら今のお客さんは「天子さまの~」と言ったら、輪っかをつけた「天使」を思い浮かべる方がいるかもしれませんね。

蟷螂:あー、いるいる。耳で聞こえるだけだから、わからない人は山ほどいるだろうね。

笠井:その差を良い方に転ばせることが出来たらいいなあと思っています。それはそれで解釈は出来ると思いますので。

蟷螂:企画のルールとして台詞は一切さわれないけど、例えばその「天子さま」が“エンジェル”なのか“陛下”なのかという、解説めいたことは一切やらない?

笠井:それはしませんね。ただ、一つだけ、台詞を変えようかなと思っているところがあります。子供が生まれて、その子をどこに送りこむかという話が出た時に、「カゾク様のところにでも」という台詞が出てくるんですよ。

岩崎:「華」の方ね。

笠井:そうです。でも「華」の「華族」っていうのはたぶん、今の観客が耳で聞いてもわからないだろうなと思うので、そういう部分をどうしようかなと…。「天子さま」はいろいろと幅があるので面白いと思うんですけれども、「華族」を「ファミリー」だと思われても全然面白くないので、その辺は工夫したいなとは思っています。

蟷螂:『とりあえず、ボレロ』でも和服を着た女の人が、台本では大柄な人という指定になっているけど、実際に演じる俳優は大柄じゃないんだ。うちはそこを工夫しようとしてますね。

「演劇」の入り口

岩崎:笠井さんは1979年生まれで、この作品の初演が1975年。アングラ時代のど真ん中で生まれた作品なんだけど、笠井さんが演劇を始めた時は90年代の演劇状況になってたわけでしょ。

笠井:私が演劇を始めたのは97年に大学に入学してからです。あ、ちょっと、蟷螂さんとの話もしていいですか? 私、実は在学中にPM/飛ぶ教室さんの公演に音響スタッフとして参加していたことがあるんです。

蟷螂:えっ? マジで?!

笠井:当時、音響家の堤野雅嗣さんが近畿大学で教えられていたんです。私は堤野さんに師事していたので、大学2年と3年生の時に連れられて様々な現場に行っていまして、その中でPM/飛ぶ教室さんにもお邪魔していました。『水嶋さんのストライキ』(再演。1999年)と、『足場の上のゴースト』(2001年)でした。

蟷螂:『水嶋さん~』は東京公演も来たの?

笠井:行きました。

蟷螂:あら~…(一同笑)。この前、アイホールで笠井さんにお会いした時は、俺も福井も山藤もすっかり忘れていたからね…。

笠井:15年も前の話ですからね(笑)。まあ、そんな感じで大学の4年生の時まで音響の道を志していたんですけれど、ハイナ・ミュラーの『ハムレットマシーン』を上演する活動に音響として参加した時に、私が演出をやると言ってしまったんです。その上演以来、演出を志すようになりました。で、卒業後どうしようと思っていた時に、近畿大学の西堂行人さんが未知座小劇場(※1)の闇黒光さんを紹介して下さって、闇さんのところに通って、お酒を飲みながら将来どうしたらいいかを聞いてもらいました。

蟷螂:闇さんはなんて答えてくれたの?

笠井:とりあえず理論武装しろと仰ってくださいました(笑)。あと、これを読んだらいいという本を紹介してもらって。

蟷螂:哲学書?

笠井:そうです(笑)。その時は哲学が不慣れだったんですが、それがきっかけで哲学書を読むようになりました。

「アングラ」の入り口

岩崎:蟷螂さんは笠井さんが生まれた頃は既に芝居してました?

蟷螂:ギリギリしてますね。20歳のころに芝居がやりたくなって状況劇場とか満開座も観てたんですけど、そこに入るにはハードルが高いな、と思っていて。かといって似たようなレベルで歳も近い奴らと部活みたいに芝居がしたくなくて、街のどこかの劇団に飛び込みたかったの。で、当時、プレイガイドジャーナルという雑誌に「犯罪友の会」が劇団員募集の広告を出していて、「資格は問わない」と書いてあるから電話したんです。そうしたら座長の武田一度さんが出て、話しているうちに「自分は黒色テントが好きなんだ」と言うんですよ。それで「一度稽古場においで」って言われて行ったんです。それが運のツキで(苦笑)。初舞台はそこで踏んだんだけど、武田さんは電話で話していた口調と風貌が全然違っているし(一同笑)、稽古でやってることも違って、「これ、黒テントかぁ?」と思ってた(笑)。その黒色テントの『ブランキ殺し上海の春』が状況劇場とはまた違った洗練度で、ものすごく格好よかった。その作品の仕込みの手伝いに行った時に場当たりも見学させてもらったんです。その時は先ごろ亡くなった斎藤晴彦さんが現場を回してたんだけど、それがものすごく厳しかった。20歳そこそこのペーペーの俺なんかにしたら、皆さんすごくキレる芝居をしてらっしゃったのに、もうボロクソですよ、声を荒げて。

岩崎:アングラって演出が役者を罵倒するということが一つの流儀としてあったような気がしますね。僕も昔、ある劇場のスタッフに「なぜお前は怒鳴らんのだ」と言われたことがあります。「役者に愛想よくダメ出しなんてしたってあいつら聞きやしないんだから、もっと怒鳴れ」と。蟷螂さんはその洗礼をガンガン受けてたわけでしょ?

蟷螂:うん。あったあった。稽古に行くのが嫌でねぇ。稽古終わった瞬間が一日のうちでいちばんホッとするの。でもあっという間に次の稽古が始まるから、毎日死にたくなっていたけど、それで教わったことってたくさんあるよね。岩崎さんはそういう経験は?

岩崎:当時の大阪芸術大学にもそんな先生はいました。担当の教授から学校とは思えない、とんでもない言葉で罵られました。とりあえず自分の自意識なんてものは剥奪されちゃう。

蟷螂:「ゼロだと思え。お前、自分に何かあると思うな、馬鹿!」と言ってね。そこから始まる(笑)。それでヘトヘトになって後先わからなくなった時に、そうとしかできなかった芝居を褒められたりする場があってね。それは今でも忘れられないですね。でも俺はとっちめられる稽古がトラウマになってるから、自分の現場では声を荒げることはしないです。

岩崎:笠井さんはしないでしょ? そんなイメージもないし、稽古場で人物が豹変してたら別だけど。

笠井:そうですね、大学時代に同級生で演出をする人たちを何人か観てきて、怒鳴ったり衝突してうまくいってる稽古場を観たことがなかったので、そういうやり方はしなかったですね。だけど、もし、うまくいくとわかっていたらやるかもしれません。

岩崎:ある種、君主的に振る舞える人が集団を維持していた時代があったということだよね。今はみんなフラットに並んでる感じだけど。やっぱりお二人は19歳の年齢差があるから演劇への入り方もずいぶん違いますね。

笠井:俳優の中に演出を「先生」と呼ぶ人がいますけど、それは抵抗がありますね。私は演出も共同創作者であると考えています。岩崎さんの仰るように、君主になるのは抵抗がありますね。そういうのは世代間のギャップがあるかもしれません。

新劇からアングラへの系譜

岩崎:昨年、『友達』(安部公房・作)を現代演劇レトロスペクティヴで上演した際に、演出家の大橋也寸さんがシアタートークでお見えになって、安部公房スタジオ立ち上げのときに清水邦夫さんと二人で入らないかと誘われたという話をしてらっしゃいました。そう考えるとやっぱり、清水さんは文体意識もそうだけど新劇系列の流れから木冬社を作ってらっしゃるというイメージが強くなりますね。

蟷螂:清水邦夫さんの戯曲は新劇寄りですよ。とても言い慣れない。うちの劇団は俺が関西弁で台本書くから、余計に。

笠井:でもやっぱり、お話を伺うと、新劇とアングラって繋がってますね。新井純さんという黒色テントの看板女優さんで、『阿部定の犬』の「あたし」の役をやってらした方に東京でお会いしたんですけど…。

『CABARET 阿部定の犬』。東京と盛岡で開催

蟷螂:えぇ、本当?

笠井:新井さんはもともと、俳優座の養成所のご出身なんですね。だからダンスとか演技の基礎をものすごくしっかりやった上で黒色テントに合流して、アングラと言われている演劇を担っていったわけですから、今の私たちが一方的に思うものじゃなくて、もっと分厚い層になっているんじゃないかなと思いますね。

蟷螂:東京ではその通りだね。大阪はまた違うけどね。新井純さんは今どうされてるの?

笠井:お元気で、実は6月に『阿部定の犬』というコンサートをされるそうです。新井純さんと、『阿部定の犬』の初演で死体の役をやっていた石井くに子さんと、服部吉次さんの3人で。

蟷螂:へぇぇー。

笠井:昨年、流山児祥さんがプロデュースした『阿部定の犬』の上演を観て、また私たち歌いたいね、やりたいね、ということで劇中歌のライブをやるそうです。

蟷螂:新井純さん、格好よかったよ。あと桐谷夏子さんという人も居てね。その人が劇中歌を歌ってて、すごいチャーミングだった。今でも覚えてる。

両演出の“顔”と企み

岩崎:今回の作品、多種多様な年齢層の方が観にいらっしゃると思いますが、蟷螂さんは『とりあえず、ボレロ』を立ち上げることで、こんな作品になればいいなあというのがありましたら教えてください。

蟷螂:約30年前の戯曲だけど、新作として立ち上げる。お客さんにも、これが作ったばかりの“現在の”『とりあえず、ボレロ』ですよ、という提示をしたい。ルールとして「台詞を変えない」ということですから、それ以外の方法で現代性を表現出来るようにしたいです。日本海が近い写真館が舞台なんだけど、舞台美術としてそれをただ作るだけじゃつまらないから、写真館自体が勾配の上に建っているしつらえを考えています。アイホールという広い場所でそういう工夫を盛んに凝らしたいね。自分の台本でやる時もそうなんだけど、小屋入りする前に自分がいちばん最初の客になれるので、今回もそれが楽しみです。

岩崎:では、アイホールで『阿部定の犬』をやる笠井さんの企みは?

笠井:ひとつはね、この共通チラシがあるじゃないですか。
向かって左側に蟷螂さんの顔があって右側に私の顔があって、これね、非常に特徴を表しているなと思うんですよ。この写真を見て「僕は何を考えているかわからない顔してるんだ」と、初めて気が付いたわけです。透明人間のように、このままスーッと消えていっても何ら害のない感じすらするじゃないですか(一同笑)。対して蟷螂さんの写真には透明人間の面影はちっとも見えませんよね。

蟷螂:見えないね。

笠井:そうすると僕は写真の真ん中の空白に何があるのかな、ということしか考えられなくなるので、この何もない白い部分を使って、ある一つの「世界」をお客さんに想像させるような作品創りをしていきたいと考えています。今回の『阿部定の犬』は、「安全剃刀町」という、あるひとつの虚構の世界を劇場の中で立ち上げて、その世界の中で起こっている出来事をお客さんに楽しんでもらう。そうすれば、いろんな世代の方に楽しんでもらえるのではないかなと思います。

岩崎:現代演劇レトロスペクティヴの特徴としては、初演を観劇したことのあるお客さんが紛れ込んでくるんだよね。そういう人たちがどういうふうに観るかというのも楽しみですね。

笠井:理想は若い人にも楽しんでもらいたいですけど、往年の人たちの酒の肴になるような作品にしたいですね。観た後にその人たちが呑みに行って「あの時とこう違ったな」とか、「昔の方が良かったな」とか、「でも今回のここは良かった」とか、なんでもいいんですが、良い方でも悪い方でも語り合ってもらえたら楽しいなと思います。

岩崎:なるほどね。昔の人たちはそうやって酒飲みながら温和には語らない(笑)、というところを蟷螂さんはいっぱい通ってきてるわけですけどね。

蟷螂:いや、まあ、はい(苦笑)。

岩崎:お二人の話を聞いていてとても楽しみになりました。お稽古に励んで良いものを作って下さい。今日はありがとうございました。

蟷螂・笠井:ありがとうございました。

5月29日 大阪市内にて

※1:未知座小劇場…1975年『ぼくらが非情の大河を下るとき』(清水邦夫・作)で旗揚げ。1977年に大阪府八尾市に同名の稽古場を設立。関西屈指のアングラ劇団としてテント公演と稽古場公演を定期的に行い、現在も地方公演を敢行するなど、精力的に活動中。