エイチエムピー・シアターカンパニー『阿部定の犬』 シアタートーク前のページヘ

8月8日(土)14時終演後、演劇評論家で近畿大学教授の西堂行人さんをゲストにお迎えし、演出の笠井友仁さんと共にシアタートークを開催しました。「喜劇昭和の世界」三部作シリーズを観て演劇評論の道を志した西堂さんと、演出を務めた笠井さんに、上演された当時と今の時代の違いや作品をめぐる状況などについて語り合っていただきました。

1976年の上演では…

笠井友仁(以下、笠井):『阿部定の犬』は「喜劇昭和の世界」三部作というシリーズの中の一作品になります。私はこの作品を読んだ時、「昭和」に引っ掛かったんですね。私自身は昭和54 年生まれで10歳の時に昭和が終わってるので、果たして「昭和」という時代を知っているのかな、と日頃から思っていたからです。本作でモチーフになっているのは1936年、昭和11年に起こった阿部定事件と二・二六事件です。ここにいらっしゃるお客様の中にその頃生まれていたという人はほとんどいないと思いますが、私の祖母は大正生まれなので、今回、作品を創るにあたって、何度か手紙のやり取りをして当時のことについて聞いてみました。それから、今回街頭歌手役として参加していただいている稲葉良子さんと、西堂さんにもお越しいただいて、泊りがけで夜通し当時の映像を観たり、上演エピソードを聞いたりしました。また公開稽古や音楽会を開催することによって『阿部定の犬』はどういう作品なのかを探る機会を何度か設けて、ようやくこのような形になりました。西堂さんは1976 年に上演された『阿部定の犬』をご覧になっているので、その時の様子を皆さんにお話ししていただけないでしょうか。

西堂行人(以下、西堂): 1976年の11月に世田谷の羽根木公園で「喜劇昭和の世界」の『阿部定の犬』と『キネマと怪人』、『ブランキ殺し上海の春』の三部作連続上演を観ました。今振り返ると1976年はとても豊かな時代だったなと思うんです。その頃、僕は大学の3年だったんですけど、芝居を観に行く、とりわけテント芝居を観に行くのは、大げさな話でなく、丸一日がかりの作業でした。当時は大体午後1時に整理券を出すので、それを取りに、友達何人かと一緒に行って並ぶわけです。それから開演まで5~6時間、芝居の話をしながら時間をつぶしていく。


68/71 黒色テント『阿部定の犬』より。(提供:劇団黒テント)

それで芝居が午後7時くらいから始まって、夜10時くらいに終わります。で、その後そのまま帰るっていうのはまずあり得ない。友達と今観た芝居の話をしながら誰かの下宿先に行って、夜中の2時、3時まで話し続ける。朝まで仮眠して結局大学に行かず、「やっぱり今日も観に行こう」となるわけです(笑)。で、翌日の1時からまた整理券を取るために並ぶという、演劇漬けの日を何回か過ごした記憶があります。それくらい熱狂しながら観に行ったのが「喜劇昭和の世界」三部作ですね。1回観ただけだとはっきり言ってわからない。でも2度3度観ていくと理解が深まってようやく世界が見えてくる。その頃の演劇に関わっていた人間はそれくらいの熱量を惜しまなかった。そういう熱狂する体験を味わうことの出来たのがテント芝居だったんですね。

70年代のテント芝居


68/71 黒色テント『阿部定の犬』より。(提供:劇団黒テント)


68/71 黒色テント『阿部定の犬』より。“ご町内の三人組”
(提供:劇団黒テント)

西堂:僕らが観に行っていた頃のテント芝居はアイホールのような快適な場所じゃなくて、桟敷席に500~600人位ぎゅうぎゅうのすし詰め状態で、前の客の頭越しに観ている、自分の足の上には隣の人のお尻が乗っかったりする状態で観てました。大体男の観客が多かった。そんな状態の中で、犬殺しの登場シーンなんかは客席の後ろから役者が出てくるんですね。立錐の余地もない空間に客を立たせて、隙間を作ってリアカーを通していく。~6時間、芝居の話をしながら時間をつぶしていく。観客はその光景に湧きかえって、観ている自分自身にも感動するんですね。「ご町内三人組」は出てきただけで爆笑なんです。そういう喧騒の空気が醸成されている状態に3 時間とか3 時間半いるから、「一体これは何を観てるんだろうか」という強烈な体験が残ります。筋とかわかんなくても苦にならない。今日みたいに椅子に座って「鑑賞する」となると、筋がわからないと、意外と気になるけど、身体的行為をもって観るときには話の筋は大して問題にならない。行間を埋めていく観客のパワーとエネルギーが場を覆いつくしてしまう。観客も身体張って、高い緊張感で観ていました。当時、一つの劇団が一ヵ月のうちに『阿部定の犬』、『キネマと怪人』、『ブランキ殺し上海の春』と三本連続上演するなんて、異例中の異例でしたしね。そうやって佐藤信を中心とした68/71 黒色テントという巨大な船の中にこちらが乗り込んで行って、一緒に格闘しながら探っていく。観客も他人事じゃなく自分のこととしてそこに出かけていくという感じでした。やはりこの時代の演劇は、他ジャンルと比べても突出して面白かったし、自分の一生の仕事にしてもいいと確信したわけです。

“アングラ”隆盛の演劇状況

西堂:この芝居は「昭和史」がキイワードになっています。この翌年には太田省吾の『小町風伝』(77年)が上演されていますけど、これも彼なりの戦後史とか昭和史ですね。状況劇場の唐十郎も戦争で戸籍を失った人間の話だとか、昭和の激動の時代をテーマにしているから、当時の観客は単に『阿部定の犬』だけを観て「昭和の世界」を考えているんじゃなくて、他のものと連動しながら、その緊張関係の中で観てるんですね。例えば『キネマと怪人』が上演されると、流山児祥の演劇団はその半年後に対抗劇を発表するわけです。それくらい、この作品に触発された後続世代がパロディ化して、これを越えてやろうと喧嘩を売っている。1本の作品が突出してすごかったというよりも、当時の演劇状況の中で、玉突き状にいろんなものが動いていた。その中でいちばんシンボル的な舞台が『阿部定の犬』だったんではないかと思います。例えば68/71 黒色テントで言うと、このちょっと前に『チャンバラ』(山元清多・作、佐藤信・演出)という作品を上演しているんですが、その時のシーンがそのまま『喜劇・阿部定』(『阿部定の犬』の前身の作品)に引用されていたりするんです。劇団内でも切磋琢磨しながら、集団的想像力を実践してやってたんじゃないかな。僕はそれがすごく刺激的で演劇の力を感じました。もう一つは「天皇制」の問題。これは70年代に非常に大きなテーマとして掲げられていて、例えば山口昌男という文化人類学者が天皇制と道化の問題を論じていたり、政治学者以外にも「天皇制」を考えている人たちが多くて、演劇が知的な集積場のように思えたんですね。ちょうど、大学3年の秋でしたから卒業論文に何を書くか考えていた時で、この三部作を観た時に「これだ!」と思いました。この一本の舞台を解きほぐすことによって、歴史も思想も哲学も自分の生き方も全部解ける、演劇ってすごいなと思ったんですね。結局卒論は別のテーマでしたが…。(笑)

重層的表現


68/71 黒色テント『阿部定の犬』より。
“あたし”役の新井純(提供:劇団黒テント)

笠井:西堂さんから「この作品にはわからないところがある」という話がありましたが、戯曲の中にわからないことが書かれているのは非常に重要なことなんだなと思いました。西堂さんが友達と芝居の議論された頃は、話が尽きなかったんじゃないかなと思うんです。答えが出ないから。ただ、だから面白くないのかと言ったら、そうは思いません。この作品は文学や実際に起こった事件、或いは映画などをエッセンスとして抜き取って混ぜ合わせて仕上げている。いろんなものが混じりあっているのが、この作品の魅力ですし、今回、上演させていただいたことで、そういう作品創りもあることを認識できたのが何よりも大きかったですね。

西堂:佐藤信さんはとりわけ難解な筋立ての作家、「からくりの作家」と言われていましたが、何回も観ていると次第に大きな構造みたいなものが見えてくる。で、観た後にぽつんと言葉が残る。それを作中で説明しようとしないわけね。そこで観客はいろんな問いを投げだされて、それを持ち帰って考えるんです。映画だったら正解みたいなものは大体みんな当たるんです。だけど演劇の場合は意見を突き合わせてみると、「え、そういう風に観ていたんだ?」というようなことがボロボロ出てくる。「百人の観客がいれば百通りの解答がある」と佐藤信が言っていますが、演劇は一人で見るものではないなと思います。終わった後に3人とか5人で話をしていくと、自分の席で見たものと向こうの席で見たものとでは全然違うものが観えてくる。それくらい演劇は複雑なものだと思います。それを面白がられるか、面白がられないか、というところなんですね。

笠井:私は一人で見に来ていただいて良いかなと思うんですよ(笑)。ここで観劇仲間を見つけたり、ブログなどに感想を書いていただいても良いかと思います。そうやって作品について考え続けることが面白いと思います。観て考える必要のない舞台は歯ごたえもないし、思考しなかったら、作品から世の中のいろんなことに想像が結びつかないんじゃないかなと思いますね。

西堂:昨日観ていたら、若い客が「筋がよくわからない」と不満をもらしていました。筋にこだわり過ぎて悩んでるようでした。もっと自由に観ていいのにと思いますが、ストーリーが「わかる」ことにこだわり過ぎている。出口が見えなくてもいいじゃないと思うんだけど、そういう演劇の見方が劣化していると気付きました。70年代の観客たちが獲得した見方に比べると今の時代はものすごく単層的になっている。難解さみたいなものをもっと楽しんだらいいんじゃないかなと思いますけどね。


68/71 黒色テント『阿部定の犬』より。(提供:劇団黒テント)

西堂:昨日観ていたら、若い客が「筋がよくわからない」と不満をもらしていました。筋にこだわり過ぎて悩んでるようでした。もっと自由に観ていいのにと思いますが、ストーリーが「わかる」ことにこだわり過ぎている。出口が見えなくてもいいじゃないと思うんだけど、そういう演劇の見方が劣化していると気付きました。70年代の観客たちが獲得した見方に比べると今の時代はものすごく単層的になっている。難解さみたいなものをもっと楽しんだらいいんじゃないかなと思いますけどね。

笠井:70年代の上演には、重層的なものが多かったんですか?

西堂:「重層的表現」という言葉がドラマトゥルギーとしてあったくらいだからね。例えば風呂敷包みに隠されている男根とピストルの二重性だとか、様々な記号がからくりの様にはめ込まれていて、理屈では通じなくても、イメージの飛躍としてパッと掴めちゃう、そういうものがちりばめられている。とくに『阿部定の犬』は歌詞がすばらしいですね。『三文オペラ』を替え歌 にしてるのですが、佐藤信の詩はブレヒトをはるかに凌いでると思うんです。

昭和は終わったのか?

西堂:この作品はちょうど40年前に書かれた作品なんですけど、最後に「昭和――とうとう終わったか」という台詞があって、1970年代の時点では未来形で、当時は大爆笑だったわけですよ。今の時代において、笠井さんがどう受け止められているのか、聞いてみたいのですが。

笠井:私も75年に上演された際のビデオを見せていただいた時にいちばん違和感を感じたのはそこですね。いま、あそこで笑いが起きるなんて想像がつかないと思うんですけれども。西堂さんから劇の中で“昭和”を終わらせたことがすごくユーモラスだったと説明を受けて、なるほどと思いました。ただ、今の私たちからするとユーモアではなくて、ある種の皮肉じゃないかなと思います。“昭和”という時代をどうとらえるかによるとは思うんですが、今日、皆さんに観ていただいた“昭和”は必ずしもポジティブな姿ではなかったと思います。精神的にも物質的にも貧しい状態の背景に「天皇制」がある中で、苦悩しながらも一生懸命生きている人たちが描かれている。この暗い時代が再びやってくるかもしれない現在にあって、「本当に昭和は終わったんでしょうか?」という疑問形じゃないかと思うんです。で、今の安倍首相に照らして考えてみると、彼自身は岸信介元首相の孫になるわけですよね。私は昭和の亡霊が再び息を吹き返してきた、そういう時代にこの作品を上演するのは、なにか縁があったんじゃないかと思うんです。

西堂:一年くらい前は安倍首相はこんなに露骨になってませんでした。今はものすごい勢いで時代が動いている中で、「昭和―とうとう終わったか」という台詞が、観客にどう届くのか? 詠嘆なのか時代のブレーキを掛ける力になるのか? そういう時代に新しい『阿部定の犬』が生まれるんですね。『阿部定の犬』が上演された75~6年は、ベトナム戦争が終ったり、『死の教室』(タデウシュ・カントール・作)や『ハムレットマシーン』(ハイナー・ミュラー・作)という世界的な作品が生まれた、非常に面白い時代でした。日本だけじゃなくて世界のいたるところでいろんな人が実験的な演劇を探っていたということを立体的に振り返って考えてみると、この時期が演劇にとって大きな転換期だったなと思います。

笠井:今日、お渡ししているパンフレットの中にコメントを書かせていただいてるんですが、今回は非常に悩んだ結果、とても短い文章になったんですよ。それはこの上演をご覧いただいた皆さんそれぞれの角度で感じていただきたいなと思ったからです。ですから皆さんが今日観た感想を私たちにも教えてほしいし、お知り合いと共有しながら、ああだ、こうだと正解のない議論をしてもらえると嬉しいなと思います。本日は皆さん本当に長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。